サンクトペテルブルク、大理石宮殿
ネバ川沿いに歩いて行くと大理石宮殿があります。
wikipedeiaにも書いてあるように数々の大理石が集められていることから、この名前があります。
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大理石宮殿は、女帝エカテリーナ2世の愛人であった、グリゴリー・オルロフによって建てられた。設計はイタリア人建築家、アントニオ・リナルディの設計で、1768年に着工され1785年に完成した。
大理石宮殿の名は、宮殿を華やかに飾り立てた数多くの大理石装飾による。フィンランド産の花崗岩やカレリア産のピンク色の大理石、白や青のウラル産の大理石などが使用され、宮殿装飾に使われた大理石は32種類にも及んだ。
現在、大理石宮殿はロシア美術館の別館として使用されている。
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中は色とりどりの32種類の大理石で作られていて、とても豪華です。
玄関ホールの吹き抜けと階段も大理石で映画の舞台になりそうです。
大理石の間です。
今はロシア美術館の
別館として現代美術が展示されています。
現代美術と言うだけあって斬新な芸術作品がいっぱいありました。
ペトロパヴロフスク要塞に
サンクトペテルブルク発祥の地と言われるペトロバヴロフスク要塞に行ってきました。
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18世紀に発生した大北方戦争の過程で、スウェーデンから土地を防衛するために築かれた。河口付近のザーヤチ島を高い壁で取り囲むように構築された。
スウェーデンの脅威が低下した19世紀には、政治犯収容所としても利用され、一時はバクーニンやネチャーエフ、ドストエフスキー、レーニンらも収容された[1]。ロシア革命後には失脚したロシア帝国議会議員や、臨時政府の閣僚らも収容された(一部は脱走に成功したが、残った人々は獄死・処刑された)。
要塞の中央に、首座使徒ペトル・パウェル大聖堂(ペトロパヴロフスキー大聖堂)があり、ピョートル大帝以降の皇帝が葬られている。
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要塞とあって、なかなか重い歴史を感じさます。
要塞は上空から見ると六角形になっているそうです。ウサギ島と言われていて、島の中にはウサギの像があちこちあります。
昨日まで王宮の金ピカの装飾を見ていたので、この赤いれんが作りの建物を見たときは、「あらら、サンクトペテルブルクにもこんな建物があるのだ」とビックリ。
しかし、歴史的にはこの地が発祥の地ということで、ナルホド!と納得しました。
その昔、ここにドストエフスキーやレーニンや、その他多くの人たちが収容されていたのですね。
建物の一部は今は人形館なのでしょうか?
入り口に立っているのは蝋人形です。
大聖堂には皇帝一家が永眠しているそうです。
塔の上には天使の十字架があって、街を見守っているそうです。
要塞にそって歩いているとピョートル小屋博物館があります。ピョートル大帝が
要塞建設のために住んでいた小屋だそうです。
さらに歩いて行くとペトログラード川に、ロシア革命の口火を切ったとされる巡洋艦オーロラが停泊しています。日本海海戦にも参加した巡洋艦です。
3本の煙突が印象的です。
今は内部は見学できるそうです。
島の方から向こう岸を撮りました。
雲が重く垂れ込めていて、雰囲気があります。
エルミタージュ美術館その3
エルミタージュ美術館冬宮の西側エリアは皇帝一家の居住空間、つまりプライベート空間です。
ここには食堂や寝室、書斎などがあります。
ここもやっぱり金ピカです。
個人的な感想としては「こんなに金ピカに囲まれていたら疲れないか」なぁんてものですが、庶民にはわからない皇帝一家の美学美的センスがあるんでしょうねぇ。
さて、
1番目に行くのはその名も黄金の客間です。
グリフォンが足になってテーブルを支えています。
テーブルの上のピラミッド型の箱にはいろんな展示品がありました。
たとえばボタンみたいなものやら、カメオやら。
壁にもふんだんに金箔が使われています。
天井にも精密な彫刻と豪華なシャンデリア。
調度品もやっぱり金ピカです。背景の扉はクラクラするくらいキラキラの金ピカです。
青色の厚いカーテンにこの金ピカのタンスがとてもよく似合うと変に感心。
ドラゴンの爪先に赤いルビーのような宝石のついたドアの把手が印象的でした。
次は白の間。ニコライ一世が息子の婚姻にさいして贈ったという部屋です。
婚姻するから部屋を贈るのかぁ〜〜〜
フゥ〜〜〜とため息。
皇帝一家のなさることは庶民にはわからない。
さらに進むとラズベリーの間。
カーテンの色がラズベリー色からきています。
書斎だそうです。
さらに続いて多くの観光客が足を止めているのは、
ブドゥアール。
皇后の私室だそうです。
個人的な感想としては、こんなに金色や赤色に囲まれていたらあんまり休まらないようにおもうのですが、そこはそれ、当時の人々との感性の違いなのでしょうねぇ。
さて、
寝室なども見所はいっぱいあったのですが、時間がなくなり残念ながら大急ぎで部屋を駆け抜けて、孔雀石の間でちょっとゆっくりしました。
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ウラル地方で採掘される孔雀石をふんだんに使った部屋です。
こうしてみると、青や緑は金色にあいますね。
豪華でした。
その隣にあるのは小食堂、別名を白い食堂といいます。
白い食堂の入り口には熊の時計があって、十月革命の時にとまったままの時計です。
私と夫はその後、3階にいって、いろんな展示をみたのですが、
貨幣の展示がちょっと面白かったです。
日本の貨幣では現在使われている10円や100円があり、嬉しかったです。
さてさて、
こうして大急ぎでザァ〜〜〜〜とみてきたエルミタージュ。
あまりに大きくて広くて、いっぱい、いっぱい取りこぼしました。
後からガイドブックをみて「あ、、、、そうだったのか。そこは見なかった。残念」というところばかり。
もっとジックリと、ユックリと丁寧にみていきたかったです。。
ただ、2回を通して感じたことは、ロマノフ王朝の栄枯盛衰を金ピカの装飾の中に見ることが出来、そこになんともいえぬ悲哀を感じました。
宮殿から見る景色は静かで穏やかでしたが、ここで繰り広げられた数々のドラマは、
今はもう歴史の彼方に消えたのか、と遠い昔の異国の人たちに思いを寄せました。
エルミタージュ美術館その2
出来栄えエルミタージュ美術館は冬宮、小エルミタージュ、、それに新旧のエルミタージュと4棟からなっています。
まず最初は冬宮からの観光が一般的です。
ここではロマノフ王朝の豪華絢爛、宮殿装飾がこれでも、これでもかと私たちを待っていてくれます。
1番目は大使の階段です。
多くの要人を迎えた階段。花崗岩の彫刻が美しいです。天井の絵も素晴らしいです。
階段を上り、大広間。
さらに進むと次はピョートル大帝の間です。
ガイドブックによると設計はモンフェラン。
正面の絵は「ピョートルとミネルヴァ」。
赤い玉座に金色の飾り。赤い壁の白い大理石の柱。
権力を感じます。
その隣は紋章の間です。
シャンデリアにロシアの各県の紋章がデザインされているからこの名前があるそうです。
祖国戦争の画廊という名前がついた廊下を通り、聖ゲオルギーの間にいきます。
ここで大使や要人に謁見したそうです。
とにかく天井の装飾や壁の模様が素晴らしいです。
双頭の鷲はロマノフ王朝の紋章です。
緑や青の大理石のツボが飾られています。
この深い緑色。素敵でした。
多くの観光客でごった返している美術館のなかにあって、ヒッソリとそして威厳をもって凛としているように感じました。
空中庭園が見える廊下には素敵なステンドガラスやガラスのモニュメントみたいなものなどが展示されていました。
空中庭園の中には入ることはできません。
次に入った所はバヴィリオンの間。
ここにはエカリーナ2世の愛人が暮らしていたそうです。
「孔雀の時計」というカラクリ時計が素晴らしかったです。
いまは動かないのですが、横にビデオがあって、動いている様子を映し出していました。
実に巧妙に正確にそして繊細にできている素晴らしい時計です。
朝、昼、晩をそれぞれ鶏、孔雀、梟があらわしているそうです。
カラクリの時計の部屋には日時計を形どっているのか床に時計のモザイクタイルがありました。
廊下には大理石でできた
像がありました。ピョートル大帝でしょうか?
大理石にも関わらず、実に細かく出来ていて洋服のヒダまでしっかりと彫ってあって、
その柔らかな素材が手に取るように感じられました。
実は私はこの像が一番好きでした。
後の絢爛豪華な装飾にはちょっと疲れたのです、、、
大体の宮殿装飾を見た後はコレクションの
絵画です。
有名な物がいっぱい。
まずはダヴィンチのコレクション。
リッタの聖母です。
数少ないダヴィンチの絵です。
個人的に残念だったのは、この絵はあまりに大切なものなので、展示というより保存の観点からか、ガラス張りでキッチリとされていたので、絵画そのものが持つ力、というかエネルギーというか、あるいは優しさというか、そんな本物が醸し出す特有のものが感じられず、ただカメラにパチリと収めました。
残念でした、、、
次にラファエロの回廊。
壁の一つ一つの絵が素晴らしい。
結構、日本的です。またフレスコ画が豪勢に描かれています。
迫力がありました。
絵画はイタリア美術、スペイン美術、フランドル美術、オランダ美術などがあつめられていました。
あまりに沢山あるのと、観光客がいっぱいなので、カメラの手もブレたりして、あまりいい出来栄えではないのですが、ここに貼っておきます。
また廊下の壁のいたるところに、
人物画があります。
当時の権力を垣間見た思いです。
ちょっと疲れて椅子に座ると、窓からサンクトペテルブルクの街並みが見えます。
当時の人々もここから景色を楽しんでいたのでしょうか。
私たちは、この後、さらに皇帝一家のプライベートルームへと足を運びました。
これについては、次にまた書きます。
エルミタージュ美術館
エルミタージュ美術館について。
この美術館はあまりに大きくて広くて全部を本気で見ようとするなら、とても一日では見ることは出来ません。
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1764年にエカチェリーナ2世がドイツの画商ゴツコフスキーが売り出した美術品を買い取ったのが、エルミタージュ・コレクションのはじまりである[2][3][4]。
エカチェリーナによって冬宮殿の隣に自身専用の美術品展示室が建てられた(小エルミタージュ、1775年)。エルミタージュは当時のフランス貴族が建てた個人的な離宮を意味した(例としてヴェルサイユのプチトリアノン)。その後もエカチェリーナのコレクションは増加したため、東隣に施設が増築された(旧エルミタージュ、1787年)。なお、劇場も同じ頃に建設されたものである(エルミタージュ劇場、1786年)。
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WIKIPEDIAより引用。
月曜日は休みなのですが、それでも前の宮殿広場には大勢の観光客がいます。
さすがロマノフ王朝と思わず口についた私です。
帝政ロシアの圧倒的な力を感じます。
友人は「これじゃ、革命が起きるはずだ」と感想を以前に述べていましたが、私も「まったく」と思いました。
玄関前に私の大好きな「顔はめ」があったので、
私もしようと、飛んで行ったら、なんと有料。ガックン。
私は息子と一回、夫と一回、都合、二回来たのですが、後からガイドブックで調べたら、いっぱい見逃していました、、、それくらい
沢山の見所があります。
さて、私たちは入場はネットで予約しました。
ちょっと高いのですが、その方が絶対に楽です。
なにしろ、チケット売り場にはすごく長い列ができます。並ぶだけで一仕事。
ネット予約の入り口は横の方にあるので、ちょっとわかりにくいです。
私たちも1回目は間違えて別の列に並んだり、と迷いました。
ここでもやはり荷物検査と金属探知ゲートを通ります。
私たちの前に並んだ人が水のペットボトルをすてたのでしょうか、その後の人たちがみんなペットボトルをすてたので、私と息子も大慌てで水を飲んで、残りはすてました。
でも、2回目、夫と行った時は誰もそんなことをしていなので、1回目にたまたま、そんなことがあったんだと納得しまた。
ネット予約は人が少ないのでトイレも並ばなくていいです。
トイレは一階にしかありません。
さて、
いよいよ美術館内部に足をふみいれました。
感想を含め、次に書きます。
サンクトペテルブルク、血の上救世主教会とイサク大聖堂
サンクトペテルブルグの観光。
次は血の上救世主教会とイサク大聖堂について書きます。
血の上救世主教会の説明はWIKIPEDIAによれば以下の通りです。
名前はすごいのですが、その由来を知るとナルホドと納得します。
ちょっと長いのですが備忘録もかねてWIKIからの引用を貼っておきます。
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公式名は、ハリストス復活大聖堂(Собор Воскресения Христова)。このほか、血の上の教会(Church on Spilt Blood)の名称でも知られる。この名称は、1881年3月13日(ユリウス暦3月1日)のロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺によるもので、教会が建つ場所は、皇帝遭難の地である。高さは94m。
中略
教会の建立は、アレクサンドル2世の跡を継いだアレクサンドル3世によって先帝を弔うために行われた[1]。教会はグリボエードフ運河の河畔で、アレクサンドル2世終焉の地に建設された。
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うううむ。
皇帝の終焉の場だったのですね。
歴史の生々しさを感じます。
が、
実際の教会は玉ねぎ型の可愛い屋根、ドームが印象的な明るい教会です。
この教会の建築もWIKIによれば新しいもの、つまりヨーロッパを意識した新しい風をロシアに起こした建築物だそうです。
またロシア革命の時は野菜倉庫として使われていて、当時の人々は玉ねぎならぬジャガイモの救世主教会とよんでいたそうです。
教会の中にはイコン画が数多く板に描かれています。
また丸天井に描かれているのは全能者ハリストスだそうです。
血の上救世主教会を後にして、次はイサク大聖堂に向かいました。
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ロシア、サンクトペテルブルク中心にあるロシア正教会の大聖堂である[1]。ドームの高さは101.5メートル[2]。聖イサーク大聖堂、聖イサーク寺院とも表記される。聖イサアク大聖堂の名称は、ピョートル大帝の守護聖人、ダルマチアの聖イサアク(聖イサク・ダルマツキー、w:Isaac of Dalmatia)に由来する。
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ここはとにかく内部の天井が素敵です。
私は二回訪れたのですが1回目は午後4時ごろ、息子と一緒に。
ちょうど夕日が天井の窓からさしていて光が真っ直ぐに西から東に流れている様は
神々しばかりでした。感激して何度もなんども天井の真下に行きました。
多くの観光客のかたがいらっしゃるので、譲らなければと思って、少し別のところに行きながらも、やっぱり気がついたら天井真下にいました。
教会の中にはこの大聖堂の建築の変遷のミニチュアがありました。
大理石が美しいです。
二回目は夫と行ったのですが、その時は大聖堂の上も上がりました。
料金は別に取られます。
階段はきつかったです。。。
息をハァハァしながら一番上に。
この日はあいにくと天気はわるくて、見通しは良くなかったのですが、それはそれで雰囲気がありました。
整然としたサンクトペテルブルクの街を見ながら、しばしの休憩をとって、イサク
大聖堂を後にしました。
サンクトペテルブルク、カザン大聖堂
水の都とも言われているサンクトペテルブルク。
wikipediaによれば以下のような街です。==================
バルト海東部のフィンランド湾最東端に面するネヴァ川河口デルタに位置するロシア西部の都市、レニングラード州の州都。1917年までロシア帝国の首都であった。
都市建設ののち、第一次世界大戦まで(1703年 - 1914年)はサンクトペテルブルク(Санкт-Петербург)、第一次世界大戦開戦以降(1914 - 24年)はペトログラード(Петроград)。、ソビエト連邦時代(1924 - 91年)はレニングラード(Ленинград)と呼ばれた。
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この名前の変遷にロシアの歴史を感じます。
実際、この街の至る所に帝政ロシアを感じさせる建物があります。
いろんなガイドを見ると欠かせないのは、やはりエルミタージュ美術館。
次は、血の上救世主教会、イサク聖堂、カザン大聖堂などです。
夫は仕事なので私は息子と2人で観光。
まず地下鉄を降りて、ネフスキー通りにむかいます。
ここはサンクトペテルブルクの中心地です。
この通りにいろんな有名な観光地やレストラン、お店があります。
まずはカザン大聖堂。
https://www.travel.co.jp/guide/article/15058/
上記のサイトの説明によると以下のようです。
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ネフスキー大通りに面してあるのが、現在、サンクトペテルブルクのロシア正教会の首座教会であるカザン聖堂です。
ロシア正教会において重要なイコンである「カザンの生神女」が祀られた教会で、多くのロシア正教の信者が訪れる場所です。入場は無料。
聖イサク大聖堂や血の上の救世主教会のような博物館的なものではなく、現在も生きている市民の教会といえるでしょう。
カザン聖堂は、ヴォロニーヒンの設計により、10年がかりで1811年に完成しました。完成翌年には、ナポレオン戦争(ロシアでいう祖国戦争)勝利を記念するものとされました。後に祖国戦争の英雄クトゥーゾフ将軍の遺体が安置され青銅像も建造されています。
この教会もソ連時代には無神論博物館とされましたが、1996年にロシア正教会に返還されました。
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やはりここにも歴史の変遷が見られるのですね。
建物は教会というより演舞場のように広く左右に翼が広がっていて印象的です。前の広場には噴水があって芝生が綺麗に整備されています。
多くの人たちがベンチで休んでいたり、踊っていたりとそれぞれの時間を楽しんでいました。
入り口は大きな柱があって、まるでギリシア、ローマ時代の建物のようでした。
中はやはり教会。荘厳な雰囲気です。写真は禁止なので撮れませんでしたが、ロシア正教会の特徴であるイコン像があります。
イコンとは聖像のことだそうです。
私はキリスト教についてはあまり詳しく知らないのですが、
板の上に描かれているキリストやマリアさまの絵、聖者の絵は、なかなか柔らかくて
静かに心に沁みてくるものがあります。