monomiyu3の日記

旅に出て名所めぐりをして、その土地のお酒や食べ物を頂き、温泉につかり、と「物見遊山」の日記です! 備忘録として書きますので随分昔の思い出旅行もあります。

えさし藤原の郷

「えさし藤原の郷」に行ってきました。

1993年(平成5年)7月4日、開園。同年に放送されたNHK大河ドラマ第32作・『炎立つ(ほむらたつ)』の撮影の為に作られた大規模オープンセットで、撮影終了後も存続できるような歴史公園として整備された。施設側の公表によれば総面積6万5百坪。園内の一部施設で建造過程を記録した当時のVTRが流されている事がある。

奥州藤原氏の祖先である藤原経清と、平泉を創設した奥州藤原氏初代・清衡が居住した豊田館跡付近に造られた。

平安建築群が再現されたテーマパークとしては日本唯一であり、多くのドラマ撮影の舞台となっていることから「みちのくのハリウッド」とも呼ばれる。

(wikipediaより引用)

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つまり、ここはドラマのために作られたセットを保存しているテーマパークなので、

ここ自体が歴史的な意味はないのですが、

セット自体は当時を再現するために丁寧に作られているので、

「時代」に触れることができて、とても有意義で楽しい公園でした。

 

とくに「炎立つ」の時代は、謎が多く、学校の歴史でもそんなに習わないので、

なかなか勉強になりました。

当時の貴族の遊び

牛車

建物

当時の勢力図

体験コーナーとして当時の着物を着たり、弓を引くことができたり、双六などの遊びもあったりと、充実していました。

またここは、セットが充実しているので、いろんな時代劇のセットとして活用されていたとのことで、映画やドラマの様子なども展示されていました。

「へぇ、、、あの時の」「あら、こんな場面あったっけ?」とかとか言いながら、歴史を違った感覚で味合うことができ新鮮でした!!!

気仙沼 向陽高校震災遺構を訪ねて

9月21日、敬老の日です。

夫の母が健在なので、母のことを思いながら、「いつまでも元気でいてほしい」と願いました。私たちにとって、「いつっでもある」と思う日常。安心の日常が、突然、大地震と津波によってことごとく破壊され、根こそぎ生活が流れ去ったあの東日本大震災。

あの時、私たち家族もも義母も驚きと恐怖の中で1日、2日、、、と過ごしたのですが、私たちは、停電と断水で悩まされただけで、建物の大きな崩壊は免れました。

しかし、この日、三陸方面は大きな大きな津波に飲み込まれ、一瞬にして全てが消えました。

人も、、、、、建物も、、、、

あれから、15年。復興の動きはあちこちで、起こり、いろんなところが「元に戻ろう」「元に戻そう」と動いています。

そして、「震災の記憶」を次にバトンしようと、いう動きも。

その一つが気仙沼の向陽高校の遺構です。

https://www.kesennuma-memorial.jp/

 

実は私たちは2017年にも、ここを訪れているのですが、あの時はまだ今のような伝承館という形でしっかり遺構が保存されているのでなく、「ありのまま」「そのまま」のかたちでした。

今回、この伝承館を訪れて、津波のビデオなどを観て、胸が詰まりました。

 

あの時のままです。車が教室に流れてきて、そのまま車はそこに。



本当に胸が詰まって、、、それ以上の感想を書くことはできません。

ただ、「多くの人に観てもらい立ち、知ってもらいたい、備えてほしい」という思いを強くしたものです。

学校の外も、崩れています。庭にも流れてきた車が。

 

いかに津波が凄まじかったか、、、 

その時の、人々の恐怖を思うと、涙が出てきます。。。「怖かったね、、、」と。

こうして、遺された建物を見ているだけでも、胸が塞がれるのだから、実際はどんなだったろう、と思うと言葉が出てきません。

 

今、日本国中、いや世界中で、温暖化の影響か、気候が不順になっています。

いつ、どこで大きな災害が起きるわかりません。

だからこそ、「いつもの日常」を大切に、そして、できる備えをして置かなければと、強く思うものでした。

石巻

夫が気仙沼を自転車で走っている間、私は石巻観光をしました。

実は石巻は3回目です。

一度は震災前、2回目は震災復興を願って来ました。

と、いうことで今回は3回目ですが、何回来ても石巻の町は、優しい雰囲気で迎えてくれるようです。

街並みのあちこちにある仮面ライダーやサイボーグ009などのキャラクター像がむかえてくれるからでしょう。

 

石ノ森章太郎の町という感じがします。

震災でこの辺りは津波の被害にあったのですが、復興して新しくなった街並みを見ると感慨深いです。

石ノ森萬画館には震災当時の漫画館の様子、復興の過程などの写真が貼ってありました。

 

 

当時の生々しい写真を見ながら、いかに自然の脅威がすごいかと、あらためて思ったものです.そして弛まぬ努力で復興した方々の熱い思いも感じ、ちょっとうるうるしました。

 

ツール・ド・東北のお供(石巻その1)

シルバーウィーク(9月19日から23日までの5日間)は台風で心配されながらも、

東北方面に行ってきました。

自転車が趣味の夫が「ツール・ド・東北」に出るため、石巻、気仙沼を中心にその後、八幡平や胆沢方面に行ってきました。

19日の早朝、家を出て、まずは仙台へ。

天気は相変わらず泣いたような空。はっきりしません。

車中「明日の天気晴れたらいいね」とかとか言いながら、仙台に。

昼ごはんはもちろん「牛タン」。

昼食後、夫は気仙沼へ、私は石巻のホテルへといきました。

ホテルはTabist石巻というところです。

外見はなんだかアパートみたいですが、中はちゃんとしたホテルです。


こじんまりしたホテルですが、掃除も行き届いていて綺麗でした。一泊2食付きで、リーズナブルなお値段です。

コインランドリーもついているし、ちょっとした滞在にはむいているかも。。。

この日は、ツアー参加者が前日泊したためか、結構、宿泊客は多かったです!!!その1)

明日は晴れるといいね、、、と思いながら、1日目は終わり。

私は明日は石ノ森萬画館へ、夫は気仙沼ツーア。

 

 

 

弘前の町

おはようございます。

北海道旅行記、備忘録として書こうと思いつつ、時ならぬ大雨でバタバタしていました。

私の住んでいるところは災害には今のところあってないのですが、それでも毎日、毎日の雨で、多分、地盤は緩くなっているだろうと思います。

本当に何があるかわからないこの頃、備えあれば憂いなしで、気を引き締めなかればと思うものです。

 

さて、北海道旅行記は、無事、青森について、

その日は弘前で泊まりました。

弘前といえば、私の中では太宰治です。

www.city.hirosaki.aomori.jp

 

私が学生の頃は太宰を読むというのがなぜかスマートと思われました、、、なぜだろう???

多分今から思うに、太宰の人生そのものが、欲に執着し、悶え、葛藤の中にあるその人間性が若い私たちの心を掴んだんだろうと思うのです。

尤も、私が太宰の中で一番好きなのは「富嶽百景」で、

しかも「富士には月見草がよく似合う」という言葉が一番気に入っているのですが、、、

この感覚、洒落ている。そうか、富士には華やかなものではなくて、ひっそりとした月見草こそがよく似っている、太宰は感じたのでしょうねぇ。

 

さて、そんな太宰が過ごした弘前。

今回は、半日だけの観光だったので、太宰を偲んでゆかりの地に足を向けるということはできなかったので、また次回に行けたらと思います。

と、いうことで、まずは定番の弘前城に行ってきました。

この日も天気は曇天。

お城から見た岩木山。

眼下に弘前の町が広がります。
弘前は本当に落ち着いた町で、城下町の佇まいがここそこに残っています。

 

さて、

お城の中にところどこ、「弘前城曳き戻し」というポスターが貼ってありました。

www.city.hirosaki.aomori.jp

本丸の石垣工事で、天守閣を別の場所に移動。そして石垣工事をし、完成したので元に戻すというイベントらしいです。

ここに来るまで知らなかった。

私たちは残念ながら見ることはできませんでしたが、テレビニュースで放送され他時、なんだかすごく嬉しかったです!!!

 

今度は、ゆっくりと時間をかけて訪れたいと思ったものです。

函館から弘前へ

長かった北海道の旅。

フェリーで苫小牧につき、

登別、室蘭、洞爺湖、途中キャンプして函館。

楽しい思い出いっぱいに、ついに北海道を後にして私たちはフェリーで青森に向かいました。

函館は最初から最後まで曇天でした。

結局、函館山の夜景は見ることができず、次回のお楽しみにしました。

さようなら〜〜〜さようなら。

 

フェリーは夏休みということでいっぱいでした。

いつもは大きな部屋に2〜3人だそうですが、どの部屋も満員。

青森まで3時間。

出航が11時過ぎだったので、お昼を 船のお店で購入。

冷凍の助六寿司です。。。

それを食べたり、ゴロゴロしたり。

そして、

フェリーは無事青森に到着。

「ただいま」

 

青森もやはり怪しい天気。

曇天です。

私たちは宿のある弘前まで出発。

途中、雨がぽつりぽつり。

うわっ〜〜〜本格的に降るか、と思ったのですが、宿に着く頃には小雨になっていて、

無事、弘前の情緒ある宿に到着しました!!!

宿の中にはおかみさんの手作りのパッチワーク(大作です)がいっぱい飾ってあり、癒されます。

日本国中の武士の「家紋」です。。。すごい。

おかみさんの古い着物とかで作られたそうです。。。

宿は古いのですが清潔でした。

前の週が弘前ねぷた、また8月の終わりは弘前城「曳もどし」というイベントがあるようで、私たちが泊まった時はちょうど真ん中で観光客も少なかったのか、とても静かでした。

 

函館港、摩周丸に行きました

函館港に浮かぶ博物船、摩周丸に行ってきました。

 

ja.wikipedia.org

博物館船ということで、中には船のいろんな説明コーナーがあります。

写真はライトアップした夜の摩周丸です。

 

そして、コーナーの一角に洞爺丸事故の資料コーナーがありました。

ja.wikipedia.org

洞爺丸事故(とうやまるじこ)は、1954年(昭和29年)9月26日に青函航路で台風第15号(洞爺丸台風)により起こった、日本国有鉄道(国鉄)の青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故である。死者・行方不明者あわせて1155人[注 1]に及ぶ、日本海難史上最悪の事故となった。

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洞爺丸事故というのは、名前は知っていたのですが、

その実態は全然知りませんでした。

今回、資料コーナーで当時の新聞や資料、またビデオなどを見て、その事故がいかに悼ましいものか知りました。

胸が塞がれる思いでした、、、

「こんなことがあったんだ、、、」

「嗚呼、、、どうして、台風が来ていたのに出港したのか。。。」

リアルなニュースに目を覆いたくなりました。

「まさか、こんなに台風が急激に発達するとは」

「それにしても、大きな台風だったのだぁ、、、」

とかとか、いろんな思いが交錯しながら、涙がポロポロと出てきます(今も思い出すとウルウル)。

当時の気象予報では致し方なかったのだと思いながらも、多くの犠牲になった方々のことを思って、直接は知らない方々とはいえ、心でご冥福を祈っていました。

そして、

その犠牲の上に、今、海難事故をなくす努力がなされていることを知り、

今更ながら自然との共存をおもうものです。

「今日は防災の日」。

この頃、地震や台風、雨、いろんなことが日本中、いえ世界中で起こっています。

自然の前に、もっと人間は謙虚でなければならないのでしょうね、、、自然からの警告かぁ。

備えあれば憂いなし、と言いますが、毎日、心引き締めてしっかり、生活して行かなければと改めて思います。。。