気仙沼の向洋高校の今
東北でよかった応援の旅 気仙沼
東北応援の旅、1日目の夜は気仙沼の民宿です。
2008年の11月に夫と夫の友人夫妻と4人で松島と気仙沼の撮影旅行をしました。
私にとっては初めての撮影旅行でワクワクドキドキでした。
使ったカメラはPENTAX k100Dsuperです。
気仙沼は以下の説明にもあるようにリアス式海岸の風光明媚な観光地です。
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宮城県の北東端に位置し、東は太平洋に面する。東部の唐桑地区から気仙沼地区にかけては、三陸の他地域と同様にリアス式海岸が特徴的である。同じリアス式海岸でも当地方では岩手県沿岸と比較して標高が低くなだらかな丘陵が多い。唐桑半島と岩井崎の間では、深く入り組んだ海岸線が波の穏やかな気仙沼湾を形成し、湾内には大島が浮かぶ。本吉地区に入ると穏やかな海岸線が見られるようになる。
三陸沖の黒潮の影響によって冬は比較的温暖であるが、夏はやませの影響で冷涼である。(wikipediaより)
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撮影旅行をしていた私たち4人も夕日を受けて金色に輝く海のあまりの美しさに手を止めることもできないくらいシャッターを押しまくっていました。
夜は漁師さんがなさっている民宿で地元では有名。
料理がとにかくすごかったです。(写真を探したのですが、見つからない、、、)
そして朝は民宿を出て浜に出たら地元の人たちがテントを出してウニを売ったり太鼓を叩いたりとお祭りをしていました。
とても賑やかで楽しかったです。
そんな2008年。
それから3年後に東日本大震災が起き津波が起き、ここ一帯は波に飲み込まれました。
私たちが泊まった沖見屋さんも流されて、本当に心痛かったです。
そんなある日、夫がネットで沖見屋さんが再開したことを知り、これは絶対に行こうということで今回の旅行は一泊目は沖見屋さん。
ご主人は津波が来る前に逃げて他の人たちも全員助かったのだそうですが、まさか家が流されるとは思わずにみんな置いてきたので、一からの出直しだと言われていました。
「だいぶん小さくなったでしょう」とちょっと悔しさもにじませながら言われているのが胸にグサリ。
夕日が映り幻想的。
海岸への入り口の看板。
「三陸復興国立公園・海域公園」の文字が元気を呼びます!
地元出身の力士「秀ノ山」関。この像は津波に流されなかったそうです🎶
偉いぞ、秀ノ山!!!
夕日が美しく松と海を照らします。
そしてこの松。
実はすごいのです!!!龍の松と言います。確かに龍に見えます。
下のサイトによれば以下の通り。
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岩井崎の先端部に立つ龍(辰)の形をした松は、東日本大震災の津波によって幹や枝などが被害を受けたものの、一部が奇跡的に残ったことで姿を現したものです。高さ約2.5m、幹周り約1.7mで、大きく曲がった幹と折れた枝が、まるで龍が昇る姿に見えることから「龍の松」と名付けられました。その後大震災から時が経ち、傷みが激しく一時は枯死状態となりましたが、復興のシンボルとして長く保存する為の加工が施され、平成28年に現地に設置されました。
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すごいです!!!
本当に力になりますよね。
潮吹き岩からも元気に波が上がります!!!
さて、沖見屋さんの夕食を紹介します。
今、ウニの季節なのでウニづくしでした🎶
ウニです。迫力を出すためにちょっと大きめの写真です!!!
本当においしかったです。
これからも三陸、応援していこうと夫と食べながら、飲みながら楽しみました。
「東北でよかった」の旅、石巻
前復興相の「東北でよかった」発言が物議を醸しています。
この発言を逆手にとって「東北でよかった」ハッシュタグがツィッターでトレンドに上がり、多くの人が東北を応援。
夫と私もこのGWは東北旅行を計画。
震災前、そして震災直後と東北には度々足を運んでいたのですが、今回は三陸を中心にして、その後、恐山までいくというコースにしました。
第一日目。
石巻は2010年の2月に訪れたのですが、その時はお昼は有名な石巻焼きそばを食べました。下の写真はその時の藤や食堂の写真と焼きそばです。
石巻焼きそばは茶色い麺でちょっと太め。
この藤や食堂は津波の被害にあったのですが、復興、再開したそうで、今でもやっています。多くの方がその喜びをネット上に表しています。
このサイトもそうです↓
https://tabelog.com/miyagi/A0404/A040403/4002088/dtlrvwlst/B112421440/
鉄板の下まで水が来たそうです。
今回は立ち寄れなかったのですが、次に機会があったらぜひ行きたいです。
この時はまだ津波にあわず、完全な宇宙船の形で、私たちは「おおおお」と声をあげながら、その流線型を楽しみ、出迎えてくれる仮面ライダーに思わず手を振っていました。
ここも津波で流されて本当に悲しい思いでテレビを見ていたことを今でもアリアリと思い出します。
復活した漫画館はちょっと小ぶりですが、それでも流線型で夢がいっぱい詰まっているようで入る前からワクワクします。下の写真は今回の漫画館です。
子どもの日を間近にして鯉のぼりがいっぱい空に泳いでいました。
一階に歴代仮面ライダーのフイギユアが勢揃い。
一階のフロアは水に浸かったそうです。が、今は多くの観光客を迎えてくれます。
これは2010年の時のからくり時計。
そして、下の写真は今回のからくり時計。
復活していることを時が教えてくれます。
嬉しいです。
2010年の時は、北上川沿いの民宿に泊まりました。
川の向かい側に石ノ森萬画館が宇宙船のように浮かびあがりSFのような世界を作り出していました。
さて、そのときの民宿の料理。
それはそれは沢山の料理が出ました。
ここも津波の被害にあったのでしょうね。
今は更地になっていて、一体どの辺りにあったかか見当がつきませんでした。
寂しいことです。
でも、こうして写真をもう一度見直すと、民宿の方々の心使いを思い出します。
また復興、再開なさっていることを願いながら、
夫とまた来ようね、と言い、気仙沼に向かいました。
能登和倉万葉マラソン、ウォーキングに参加
もう4月。
もっと早く記事を書こうと思いながら、世間を騒がせている森友学園をずっとテレビで観ていたら、もうこんなに日が過ぎましたが、
実は3月、能登マラソンとウォーキングに参加するるため和倉温泉に夫と出かけました。
夫はマラソン、私は同時に開催されていたウォーキングに参加。
大会申し込み及び内容は以下の通りでした🎶
最初はBコースの5キロにエントリーしたのですが、前日、会場で11キロに変更。
11キロのコースは能登島大橋を歩くので、なんだか景色が良さそうと思ったからですが、内心、大丈夫かビクビク。
当日は曇りでちょっと肌寒かったのですが、マラソンやウォーキングにはちょうど良い天候。3日前まで、雪が降っていたそうで、道の傍らに雪の塊が残っていました。
さすが雪国と感動。
さて、朝起きて、夫とともにマラソン会場へ。
すでに多くのランナーが来ています。6600人以上の参加だそうです。
頑張ってと声援を送ってから私はウォーキング会場に行くウォーキング会場に行きます。まず役員の方の挨拶とラジオ体操。
それから歩き出します。
地元の歩こう会の方がいっぱいいて、皆さん顔見知りのようで和気藹々とおしゃべりしながら歩きます。
小さな子もいっぱいいます。私も負けられない。
結構、山道がきつかったです。
上にはお寺があって、鐘つきがありすでに到着している方々が鳴らしているのか鐘の音が聞こえます。
私はフゥフゥ〜〜〜
なんとかかんとか歩いてやっと鐘つきもでき、下に降りて、一番最後になりながらみんなの後を追います。
途中、七福神の像があって目を楽しませてくれます。
見ているだけで安らぎます。
が、
が、
先を急がねば。
もう先頭からかなり遅れています。
私は一番最後か、あるいは2〜3番目。
もう誰もいないので、少々不安。
でも、とにかく能登島大橋目指して歩け、歩け、歩け、、、
うううう、、、
疲れた。
でもまだ橋は見えない。見えないよ。。。
そうこうするうちに海が見えて橋が見えて、
そしてすでに折り返しの先頭のグループが見えて、うわっうううううという音が思わず漏れましたが、それでもここで諦めるわけにはいかない。
歩け、歩け、歩け、、、
急いで歩いてやっと同じ方向に歩いている人の後ろ姿にまで追いつき、ホツ。
それにしても空は青く、海は澄んでいて本当に気持ちいい。
ここでやめたら今までの苦労が水の泡と思い、最後の力を振り絞って歩き、
最後まで完走。
もう一番最後か、あるいは2、3番目かな。
それでも11キロ完走!!!
やった、やったよ、やった。
自分に本当はすごくご褒美を上げたいところだが、もう疲れて、とにかくどこかで座ろう。
座って、足を休めて、夫の到着を待ちます。
夫は夫で今回のマラソンは久しぶりのフルマラソンで結構、辛かったようです。
体力の限界か、なんて言いながら帰ってきました。
体はすごく疲れたのですが、充実の1日でした🎶
プライム落語第3回に行ってきました
昨日の日曜日(3月5日)、プライム落語の行ってきました。
昨日は柳家権太楼、桂雀々、柳亭市馬の3人の師匠が出演しました。私は雀々師匠が大好きなのです。実は1月にも「ギロッポン寄席」があって、そこでも白鮭さんと、一之助さんと雀々さんの落語を聴いたのですが、あの折の感想は忙しくて書けなかったので、後からまた時間を見つけて書きたいです。
さて、
そんなわけで朝からワクワク。
お昼の口座なので、午前のうちから家を出て、お昼は途中で食べて有楽町に着いたのは12時半。まだ会場まで時間があるのでぶらぶらしていたら東京国際フォーラムで江戸骨董市をしていました。
「へぇ、、骨董市なんて初めてみるね」と興味津々で夫と冷やかしでお店をのぞいて見ました。私たちは知識がないからわからないけれど掘り出し物がいっぱいあるんでしょうね。いろんなものがあって、おもしろかったです。おばぁちゃんちにあるようなコケシや茶碗、お皿、それからすごく時代を感じさせる着物。
懐かしい、、、という感はあまりしなかったのですが「面白い」というワクワク感はありました。晴れた日曜のお昼、都会で骨董品を眺めるってなんだかそれはそれで楽しいものがあります。
さて、そんなこんなで時間は開場に迫り、私たちは急いで会場のよみうりホールに向かいました。
相変わらず大勢の人がもう集まっていて、熱気に包まれています。
トイレに行ったり、次の寄席のチラシを見たりしているうちに太鼓が聞こえてきて、
会場のアナウンスが「開演」のお知らせをします。
そして幕が開くと、壇上に今日の出演者の3人が座っていて、トーク。
市馬さんの歌の話や内弟子時代の修行の厳しさや思い出を3人の師匠が話します。
トーク後、前座は桂優々さんの「つる」。
真剣に話している姿が初々しい。
次が市馬さんの「花見の仇討ち」。
相変わらず、お得意の喉が披露されます。
市馬さんらしくふんわりとした語り口調でやんわりと時間が過ぎました。
中入り後は雀々さんの「サギとり」。
テンション高かったです。枕から落ちまでずっと飛ばしています。
最後は権太郎さんの「幾代もち」。
権太郎さんっておばあさん役がすっごく上手です。
遠くか見ていたらちょっと喬太郎さんに似ているな、、、と思いながら聴いていました。
その後、雀々さんがサインをしてくださるというので「必死のパッチ」という雀々さんの自叙伝を買ってサインをしてもらいました♫
家に帰ってから読んだのですが、この本、すごい。
と、いうか雀々さんの人生、すごいです。胸が詰まります。
今度、改めて感想を書きたいです。
と、まぁ、そんなわけで公演が終わったのは4時過ぎ。
夫とちょっと早いね、と言いながら有楽町のガード下で軽く飲みました。
そのお店、6周年記念とかで最初の生ビールが66円ということで、
そりゃ、飲むしかないよね、とお店の戸を開けるとお客さんでいっぱいでした。
ビールとコロッケともつ鍋を頼んだのですが、コロッケももつ鍋もすごく美味しかったです!!!
そうこうしていたら道路の方がざわざわしてきて、いきなり太鼓の音と、「ズンドコ節が」なり始めます。。。
なぁんなんだ〜〜〜
浅草の太鼓の会の方達が毎月1回、こうして技を披露してくれるそうです。
思ってもいなかったサプライズに飲んでいたお客さんたちもみんな嬉しそう。
私たちもなんだか幸せになってきました。
落語といい、骨董市といい、太鼓といい、日本の文化や芸能に触れた充実の1日でした!!!
雪の大内宿に行ってきました
雪の大内宿に行ってきました。
秋に行ったときは昔を今に伝える家々の佇まいに感激しました。
「今度は雪のときに訪れてみたい」という念願が叶い、
今日夫と行ってきました。
朝、天気予報をみて「曇り」。
夫は写真を撮るには晴れている方がいいのだが、、、」とかとか言っていましたが、
なかなか思うようにはいかないので、とにかく行こうということで家を出ました。
途中のホームセンターでまず雪道を歩くためにスノーブーツを買い、いざ大内宿へ!
心配された雪も道にはあまりなくて(日陰ではちょっと残っていました)、スイスイと走れ、渋滞もなく駐車場までスムーズに到着。
雪が眩しい。
サングラスをかけて、スノーブーツを履いて、と準備万端で車から降りて宿の町並みに向かいました。
雪の大内宿。
やっぱり雰囲気があります!!!
人々の幸せを願って大きな鳥居。
お店の品物のひとつひとつに暖かさが感じられます。
高台からの風景。
雪に化粧されて独特の雰囲気を醸し出しています。
氷柱が、茶色です。
1月27日の報道ステーションでも紹介されていました。藁葺き屋根なので、雪というか水が藁を通って氷柱になるので、色が茶色なのです。
ちょっと寒かったのですが、美しい風景をみながら、
お店の丹精こもった品物をみて、心ほっこりしました。