ベネチアに行ってきました
11月2日、土曜日、息子とベネチアに行ってきました。
ジュネーブ発の飛行機は朝の6時過ぎ。
3時に起きて、4時に息子のアパートを出ます。
ちょっと雨。
フェルネボルテールではジュネーブまでのバスが朝早くから出ていて、しかも無料なのです。バス停まで行くとすでに先客が待っていました。
朝早いフライトに乗る人は結構いるので、助かります。
4時半にジュネーブ空港に着くと、すでに多くの人が手荷物検査が開くのを待っています。
今回はジュネーブからベネチアまでEAGY JETにしたのですが、
早めに予約を入れたのと、オフシーズンだったのか片道4000円くらいでチケットが取れました。
EU圏内なのでパスポートコントーロールはなくて荷物検査だけして、ゲートに向かい、6時過ぎに飛行機は離陸。
1時間ちょっとでベネチアへ。
憧れのベネチア。
一度は来たいとおもっていたベネチア。
夫は20年くらい前に国際会議で1人で来たのですが、良かった、良かったと言っていました。私もいつか行きたいな、、、と思っていたのですが、息子と今回来ることになりました。
さて、
ベネチアについて、まず朝食。
ジュネーブは高いので、ベネチアで食べようといくことにしていました。
空港はやっぱりジュネーブと変わらず高いようですが。。。
クロワッサンは300円くらいでピザは700円くらいでした。
そのあと、いよいよベネチアへ。
空港からの水上バスで1時間半くらい。
やはり水の都へ来たからには水上バスにしようということで、
乗り場まで歩きました。
結構長い。
本当にこの先にあるのか、、、、と思うくらい長い。
しかも朝早いので人がいない。
少々不安になりながらも、ようやく乗り場へ。
一人15ユーロです。
あいにく天気は曇り。どんよりとしていて、はっきりしない風景が前方に見えてきます。
あああああああ、、、晴れて欲しい。そこまで言わないが、せめて降らないでくれ、と祈りながら、水上バスに乗っていました。
そして、
水上バスは船着場へと。
有名なサンマルコ広場近くなのでお土産やさんがいっぱいです。
着いた途端、雨。
ああああ、、、もう少し降らないでいて欲しいのだが。
雨に強い、というかあまり傘をささないヨーロッパの人たちもさすがに傘をさしています。
対岸にはイタリアルネッサンスの代表のサン・ジョルジョ・マッジョーレが雨にけぶっています。
サン・マルコ広場には大勢の人が雨にも関わらずいっぱい。
私は靴がズクズクになって、とてもじゃないが雨の中を歩くことができなくなりました。
履きやすい靴にしたのですが、考えたら防水をしてなかったのです。。。
自分ってなんと浅はかと罵りながら、冷たい雨の中を歩き、
息子と、今日は観光はやめて博物館にしようということになり、
コッレール博物館に行くことにしました。
次の記事で博物館の感想を書きます。
成田からコペンハーゲン経由ジュネーブへ
初めての海外一人旅はドキドキのうちに、いよいよ当日。
雨になったのですが、夫に送ってもらって、大して濡れることもなく空港に到着。
いつもながら、多くの人です。
12時半のフライトなので10時過ぎに到着。
予めチェックインをネットでしていたので、空港ではパスポートを機械に読ませて、
荷物を預けてとトントンと手続は終わります。
夫とバイバイして手荷物検査とパスポートコントロールを通り、ゲートへ。
ゲートに行くと日本人がいっぱいで、ちょっとホッ。
日本語が聞こえると嬉しい。思えばここは成田なんだから当たり前なんだけれど、
私の心はすでに海外。
隣に座ったご夫婦と日本語で会話。
「オーロラを見に行くんですよ」と。
うわっ〜〜〜いいな。
ツアーで行かれるそうです。
私も夫といつか行きたいなとおもっています、とかとか会話は楽しく、アッというまに、搭乗時間になりました。
私の席は翼の近く。
通路側です。
飛行機はいっぱいで私の隣には若い男の人がすでに座っていました。
機内持ち込みの荷物を上に上げてもらって、ちょっと落ち着きます。
CAさんも日本人が多くて安心します。
トイレに行ったり、シートベルトをしたりしているうちに、いよいよ飛行機は離陸。
もう、行くしかない。
後戻りできない。
そんなこんなでドキドキしながらも、少しは落ち着いてきたのは、周りにいっぱい日本の方がいるから。
お隣の青年は海外の人ですが、まぁ、長い旅ゆえお話ししようとおもって声をかけたら、コロンビアの人で日本に仕事できたそうです。
職場はバーゼルにあるらしくて、これから帰るのだということでした。
コロンビアではスペイン語が公用語なので、なんと、なんとスペイン語を教えてもらいました。簡単な挨拶とか、名前の言い方とかです。
私も日本語をちょっとだけ教えました(教えるなんてほどのものではないのですが、、、ハハハ)。
そんなこんなを話し合っていたら、CAさんが飲み物サービスを持ってきてくれました。
スカンジナビア航空は最初に飲み物をもらわないとあとは有料なのです。
しかも3本まで。
私はビールとジュースにしました。
周りもそんなにお酒を飲んでいません(時間が早いからか?)。
機内食はマァマァ美味しかったです。写真は今回は撮らなかったのですが、帰りにアップします。
お隣の青年と話したり、映画を見たりしていたら(こんな夜更けにバナナかよ、と居眠り磐音)いよいよ、着陸です。
うわっ〜〜〜ついに。
ついに着陸。
これから大丈夫か?一人で行けるか?
不安がまたまた擡げます。
コロンビアの青年と、同僚のインド人の若い女性と3人で、乗り継ぎの方に行き、
手荷物検査とパスポートコントロールを通過。
ジュネーブ行きのゲートはまだ決まっていなかったので、2人とバイバイ。
しばらくブラブラしていたら、ジュネーブ行きのゲートがA8と出たので、慌てて行きました。やっと着いたら、なんとなんとゲート変更でB17に。
ええええええ、、、、
と、言いながらBまで。
17は一番遠いゲートです。
そこへ行くと何人かが座っていたので「ここはジュネーブか」と聞いたら「そうだ」というのでとりあえずホッ。
やっと座ったら途端、周りの人が動き出します。
私が尋ねた人が「また変更」と私に教えてくれたので、私もみんなに置いてかれないように、慌てて歩きました。
掲示板にはE7とあります。
ええええええ、、、、最初にいたとこではないか。
文句をたれつつ、荷物をもって、E7へ。
ジュネーブ行きはよくよく大変。
本当に行けるのか?
なんとかE7に着いて、係りの人に聞いたら「ここでよい」ということで、
やっと、やっと、座って息子に電話。
「予定通り、ジュネーブに行けそう」。
と、いうことで、
なんだかんだと迷子になりかけたりしたものの、
無事、息子の待っているジュネーブに到達しました。
やった!
初めての一人旅前半クリアです。
今、フランスの小さな町にいます
今、フランスのフォルネーボルテールという小さな町にいます。
息子が住んでいるからです。
夏にも来たのですが、今回は一人で来ました。
いつもは夫と一緒に海外旅行に行くので、みんな夫任せでお気楽な旅でしたが、
今回初めて海外一人旅。
チケットを取ったのは8月ですが、その日から毎日ドキドキしていました。
なにしろ、前の旅行でバルセロナからジュネーブ便がキャンセルになって大変だったことがあったので、また一人旅で何かあったらどうしよう、、、と。
9月が過ぎ、10月になると段々と憂鬱になってきました。
うわっ〜〜〜どうしよう。
私のフライトは、スカンジナビア航空で、成田からコペンハーゲン、そしてジュネーブ乗り継ぎで、およそ15時間。
スカンジナビア航空は最初に飲み物を貰わなければならないとかとかをネットで調べたり、長いフライトは通路側の席が良いから座席指定したり。
この15時間が大丈夫かと。とくにコペンハーゲンの乗り継ぎは1時間半。
大丈夫か?と、気を揉んだり。
ネットでコペンハーゲン空港のマップを調べたり、乗り継ぎ時間を調べたり、「あ、、、きんちょう。あ、きんちょう」と騒いでいました。
あんまり騒いだので血圧も高くなったり、首から肩が痛くなったりと大変。
医者に行って脳ドックまでしました(血圧が高くなったから、、、結果は大丈夫で安心でした)。
そして、いよいよ出発の日。
雨です。
夫に成田まで送ってもらったのですが、途中、家々の屋根が青いシートに覆われていて胸が痛くなりました。先日の台風の爪痕です。まだまだ復旧していません。
本当につらい。1日でも早く復旧して欲しいです。
さて、そんな思いを抱えて成田空港へ。
国際線ターミナル1で手続きをして荷物を預けて、夫と別れました。
一人で保安チェックをして、
さぁ、これからだ!!!
いよいよ一人旅。
飛行機の中は次の記事に書きます。
コペンハーゲンの町並み
コペンハーゲンの有名なストロイエ通りは多くのお店があって、いつも賑わっているそうです。市庁舎広場前からコンゲンスニュート広場までの1.2キロメートルが常時歩行者天国です。
私たちが行った日も、いまにも降り出しそうなあやしい天気でしたが、大勢の観光客でいっぱいでした。
アマー広場はストロイエ通りの中心です。
この通りちょっと行くとクリスチャンボー城があります。
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クリスチャンスボー城(クリスチャンスボーじょう、デンマーク語:Christiansborg Slot)は、デンマーク、コペンハーゲンの中心部、スロッツホルメン島にある宮殿である。この城はデンマーク王室および政府の迎賓館として使われているほか、国会議事堂や内閣府、最高裁判所など、デンマークの三権に関する施設がおかれていることでも知られる[1]。1794年および1884年に二度の火災に遭い、バロック様式、新古典主義様式、ネオ・バロック様式の3つの建築様式が共存している。
コペンハーゲンのニューハウンを訪れて
レゴの街みたいというか、おもちゃの街というか、童話に出てくる街というか、
とにかく、可愛くてワクワクするのがコペンハーゲンのニューハウンです。
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コンゲンス・ニュトー広場の東、アマリエンボー宮殿の300mほど南にある。観光地として知られ、飲食店やアンティークショップなどのカラフルな建物が軒を連ねている。コペンハーゲンで最も活気のある町といわれている。
ニュハウンとは「新港」という意味であり[1]、国王クリスチャン5世によって建設された。1671年から掘削が開始され、1673年に完成した[2]。埠頭となる水路があり、ヨットや観光船が行き来している。ハンス・クリスチャン・アンデルセンが、ここを居所とし18年間住んでいたこともあった。
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かつて船乗りが帰って来た時に泊まったり、飲んだりして楽しんだ町だったそうです。
今でもレストランがいっぱいあって、大勢の観光客で賑わっていました。
また、アンデルセンも住んでいたということで、多くの童話がここから生まれ出たのでしょうね。
私たちが訪れた日は、夏とはいえ、肌寒くて空もドンヨリとしていたのですが、
そんな重たい雲も、このニューハウンの可愛くて楽しくておもちゃのような家々には、とても似合うのです。
青い空もいいのでしょうが、雨の日も、曇りの日でも、マッチする素敵な力を、この街自体が持っていると思いました。
コペンハーゲンのアマリエンボー宮殿
コペンハーゲンの街は大急ぎでスタンプラリーのようにまわれば1日でザッ〜〜と観光できます。
もちろん、ザッ〜〜〜であって、深く、広く、そして大きくは見ることはできませんが。
私たちは日曜日に、そのザッ〜〜とスタンプラリーのような観光をしました。
まず、人形姫の像、その後、カステレット要塞、それからアマリエンボー宮殿です。
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デンマークの首都コペンハーゲンにある冬の王宮である。この宮殿は、八角形の広場の周りに配された典型的な4つのロココ調の宮殿からなる。広場の中央にはこの宮殿の造営者であるフレデリク5世の騎馬像がある。
女王の滞在中にはデンマーク近衛兵が、午前11時30分にローゼンボー城からコペンハーゲンの通りを通過し、正午にはアマリエンボー宮殿の前で衛兵交代する。宮殿前広場は市民に開放されており、衛兵交代式も観光行事となっている。
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私たちはたまたま正午の衛兵交代をみることができました。
衛兵さんは結構、自由に体を動かしていました。
どこだったかの宮殿の衛兵さんは、ピクリともしませんでしたが、
ここの衛兵さんは、あっちみたり、こっちみたり。
観光客がカメラをむけたら、ちょっと意識したりと。
人間味あふれる可愛い衛兵さんたちでした。
ザックザックと並んで歩く衛兵さんの真似をして子どもたちもついていきます。
ザックザック。
広場は八角形でその中心にフレデリク5世の像があります。
ここは今でもデンマーク王室が使っているらしくて、女王が滞在の時は屋根のポールに王室の旗が上がるそうです。
私たちが行った時は残念ながら不在だったのでしょう。
旗は上がっていませんでした。
また、中は王室コレクションとして博物館になっているそうです。
私たちは外の広場だけ見て歩きました。
コペンハーゲンのカステレット要塞
人形姫の像を見ながらさらに歩いて行くと、カステレット要塞にいきます。
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カステレット要塞は、コペンハーゲン港の入口を防御するために作られた星形の要塞です。敷地内には砲台が少し残されていますが、かつての要塞の面影はなく、今ではのどかな雰囲気と自然の緑に包まれた美しい公園となっています。
要塞は海外からの船が往来するコペンハーゲン港の入口に、1662年に築かれました。当時は港に向かって数多くの砲台が並んでいました。今ではほとんどの砲台は撤去され、物々しさを感じることはありません。一面の緑が目に優しく広がります。
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上記のサイトより引用
私たちも歩きながら星型を確認。
確かにカクカクと出っ張りがあります。
門をくぐると寄宿舎のような建物や黄色い壁の可愛いい建物が見えます。
さらに歩くと小高い丘があり、池やら教会が見えます。
兵士の像があったりして、ここが要塞だったことを思わせます。
セントアーバンズ教会の横に並んでいる自転車がおもしろい。
ゲフィオンの泉といわれる噴水は、このシェラン島の由来を物語っているそうです。4頭の雄牛と女神です。
緑がとても綺麗で、ちょっと日本風の庭園のようだったり、あるいはモネ
の描く絵のようだったりします。
この島と、この公園が美しく人々を癒し、和ませるのは、やはり平和だからと、感謝しながらカメラをパチリ。