monomiyu3の日記

旅に出て名所めぐりをして、その土地のお酒や食べ物を頂き、温泉につかり、と「物見遊山」の日記です! 備忘録として書きますので随分昔の思い出旅行もあります。

福渡温泉神社と文学碑

那須塩原の文学碑めぐり。

今日は福渡温泉神社にある文学碑を見て来ました。

 

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祭神が大己貴命伊邪那岐命

おおお、、、私の大好きなイザナギだぁ〜〜〜〜

これは嬉しい。でもイザナギさん、イザナミのこと、許してあげくださいね。私はイザナミイザナミで精一杯だったおもうのだから、、、とかとかこのブログを書きながら思っています。神社の前ではなんとなく頭を下げていましたが。

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さて、この神社。福渡の信号を渡って、ちょっと山の方に歩くとあります(裏側です、、、表は通りに面しています)。神様に「こんにちは」とご挨拶して、そのあと、境内を見渡すと、

境内はとても静かでなおかつ広い。ここでテニスなんかできそうという感じです。

すぐ目につくのは錆びたブランコとシーソ。ちょっと寂しい思いがしました。

もう子どもたちは遊ばないのか?

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私はここで初めて知ったのですが「仮名垣魯文」のこと。

へぇ〜〜〜

そんな人がいて、そんな人が塩原に見えていたんダァ、、、と感激。

仮名垣魯文、、、いいお名前だわ。

その横にも地元の俳人の方々の碑がありました。

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神社の境内に文学碑がいくつも建てられているというのは、

この神社が地元の方々に愛されているということと、塩原の方々は文学を愛し、

また塩原を訪れた文人をこよなく敬愛しているんだなぁと思いながら青い空の中に雪のちらつく神社を後にしました。

 

 

 

那須塩原の和泉屋旅館と文人たち

那須塩原はもう小雪がチラリチラリと降って目の前の山々は冬支度です。

風がビュービュー。

そんな中、今日は和泉屋旅館の野口雨情の文学碑を見て来ました。

ホームページの案内にもあるように、本当に明治、大正の文豪たちが宿泊したという歴史ある旅館。

たまたまご主人が出て来て詳しくいろんなエピソードを話してくださいました。

かつての大相撲の横綱柏戸関が怪我の療養で2ヶ月間湯治に来ていたこと。

NHK大河ドラマ源義経」のロケが箒川で行われた時の役者さんの宿としてつかわれたこと。

歌舞伎の中村勘三郎さんとのお話。

http://e-izumiya.jugem.jp/?month=201305

などなど、知られていないお話をいっぱいしてくださいました。

エエエエ、、、とか

ヘェ〜〜〜〜とか

凄いとかしか声に出せない自分の知らなさ過ぎにため息をつきながら

1時間くらい、ご主人とお話させていただきました。

とても貴重な経験。

ちょっと野口雨情について調べてみようか、、、とかとか

リュブリャナの市場

スロベニアの首都リュブリャナの市場やお祭りについて書こうと思いながら、

お盆、夏休み、それから例のスロベニア大使館への送料送付などでバタバタしていて、続きを書けませんでしたが、朝、ちょっと時間ができたので写真を貼っておきます。

町の人たちの台所、市場は三本橋を渡って旧市街に入るとすぐそこにあります。

たくさんのお店と大勢の人たちでとても賑わっています。

活気ある場所です。

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牛乳の自動販売機があったのですが、自動販売機って町が安全である証拠でもあるそうです。実際、リュブリャーナは本当に安全な町でした。

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金曜日の夜。

たまたまだったのでしょうか?あるいはいつもなのでしょうか?

市場でたくさんの屋台が並んでお祭りのような賑わいをみせていました。

私たちもムール貝やら豚さんのお肉やらを食べながら町をぶらぶら。

すごく楽しかったです。

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こんなにたくさんの人が飲んだり、食べたりしているのに通りはすごく綺麗なのです。

あちこちにゴミ箱があって、係りの人がきっちりと分別していました。

このあたりの細かいマナーも感激!!!

多分、この町も夏は短いのでしょうね、、、

思い切り夏を堪能しているようでした。

ほんとうに楽しかったです♫

建築物から見るリュブリャナ その2

 

リュブリャナの建築物は有名な建築家が作ったという竜の橋や三本橋などがありますが、そのほかにもいろんなところに面白い建物があって、みているだけでワクワクします。

この町は二度、地震に見舞われ、町が崩壊。そしてその都度、再建、再興したので、時々の建築様式があるそうです。

 

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建築物から見るリュブリャナ

リュブリャナ今日はリュブリャナの建築物について書きます。

ヨーロッパのどこにでもある小さな都市であるリュブリャナ

川とお城と教会を中心に広がっていた町です。

Wikipiaによればリュブリャナの建築物の説明は以下の通りです。

リュブリャナ - Wikipedia

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リュブリャナオーストリアの型、特にグラーツザルツブルクのスタイルの影響を強く受けている。1511年に起こったスロベニア西部の大地震の後、リュブリャナバロック様式によって、続いてルネサンスモデルの都市で再建された。その後1895年に町は再び地震に襲われ、酷い被災を受けている。再び再建されこの時はウィーン分離派様式が採用された。リュブリャナでは再建が行われた時代を反映し様々な様式が混在している。第二次世界大戦後に建てられたリュブリャナの建築物の大きな部分ではしばしば個人的にスロベニア人建築家ヨジェ・プレチニックが関わっている。

リュブリャニツァ川を見下ろす丘の上を占めるリュブリャナ城は12世紀に建てられ、辺境伯の居城で後にカルニオラ公国君主のものとなった。[45]城から少し離れた、聖ニコラオス大聖堂Stolnica svetega Nikolaja)、聖ペトロ教会Cerkev Sv. Petra , Šentpetrska cerkev)、フランシスコ会の受胎告知教会(Frančiškanska cerkev Marijinega oznanjenja,Frančiškanska cerkev)、竜の橋Zmajski most)はリュブリャナのメインとなる建築物である。市庁舎近くのリュブリャナ市広場にはバロック様式ロッバ泉Robbov vodnjak)のレプリカがある。オリジナルのものはスロベニア国立美術館に移動し収蔵されている。泉はローマナヴォーナ広場にあるものに似てオベリスクと台部分のカルニオラ地方の3つの主要河川を象徴する3体の大理石の彫像が据えられている。この作品はイタリアの彫刻家フランチェスコ・ロッバによるもので、市内には彼の多くのバロック様式の彫刻が残されている。リュブリャナの教会では同様にこの様式が1511年の震災以後、広く普及している。[46]

ウィーン分離派の傑出したものはプレシェーレン広場竜の橋に見られる。ヨジェ・プレチニックが設計したいくつかの橋も含まれ、その中には三本橋スロベニア国立図書館も含まれる。[47] 1930年代に建てられたネボティチュニクは良く知られた高層住宅である。

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と、いうことでバロック様式が多いようです。

バロック様式とは曲線や楕円形をふんだんに使って豪華な装飾が特徴ということです。

リュブリャナバロック様式としては聖ニコラス大聖堂とフランシスコ会聖堂を紹介します。

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三本橋を渡った旧市街の方の広場のすぐそばにある教会。

建物の中に隠れて地味に立っている感じで、見逃してしまいそうな教会です。

中に入ると荘厳な雰囲気の祭壇と高いステンドガラスの窓があってそれだけで気持ちが引き締まります。天井は丸くて確かにバロック様式です。

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市庁舎前のロッパ泉です。ここにも多くの観光客が来ています。

すぐそこに大聖堂が見えます。

三本橋を反対に渡るとすぐ見える教会。

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フランシスコ会教会です。

三本橋の広場にあって大勢の人で賑わっています。

ピンク色の壁が特徴で、教会とはすぐには気がつかなかったですが、中に入ると確かにバロック様式の高い丸い天井で荘厳な装飾がなされていました。

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スロベニア観光 リュブリャナ城 

さて遅くなりましたが、忘れないようにリュブリャナ観光について書きます。

前にも書いたようにここは人口27万人の本当に小さな町で、市内観光は頑張れば半日で終わります。

今日はリュブリャナ城について書きます。

多くのヨーロッパの町には城があるのですが、ここリュブリャにも中世の佇まいを残した城があります。

町のどこからでも見ることができる高台にあります。

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12世紀(1144年)に建てられた歴史ある建物です。領主は支配者が変わるたびに次々と変わり、今の姿になったのは16〜17世紀だそうで今でも改装されていて、その形が変わって来ているようです。この城は実際に領主が住んでいたというよりは軍事的要塞の性格が強かったそうで、それどころか19世紀初頭から第二次世界大戦まで牢獄として使用されていたそうです。実際、あちこちにその名残がありました。

市の住宅不足を解消するために、部分的に城はアパートとしても利用した時代もあったというのです。なかなか逞しいですね、リュブリャナ城。

さて、そんなリュブリャナ城。

徒歩でもいけますがケーブルカーで乗って行くとガラス張りで見晴らしがよく気持ちがいいです。

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乗っている時間はほんのちょっと。すぐに着きます。

降りると遠くにアルプスが見え、観光客も大勢いて、それだけでワクワクしてきますが、まずはインフォメーションに行って日本語のオーディオガイドを借りてきました。

番号に沿って見て行くのですが、これはかなりハードですね。

結構、朝早くに来たのですが、次第に夏の太陽がギラギラと照り出し、イヤホーンから流れてくる説明をしっかりと聞くのはやはり辛かったですね。説明はかなり気合が入っていて全部を真剣に聞いたらさぞかしリュブリャナ通になれそうです。

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一番目はお城の全貌です。

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ガイドの順番がかなり分かりにくくて、結構、あちこちを回りましたがたどり着くのは容易ではないところもありました。

これは大砲です。

今でも使われているようです。

使われているといえば、城内にはレストランや美術館があって充実していました。

トイレも綺麗。

 さて、一番の見所はやはり展望塔です。

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ガイドによればこの塔から町を見ていて火事があったり、何か緊急の時に鐘を鳴らしたそうです。その鐘の回数でどこが緊急の場所かを知ったそうです。

さてさて、上に行くにはかなり螺旋階段を登ります。

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やっと、やっと到着。

ふぅ。

展望塔からの景色です。

ヨーロッパの町らしい茶色の屋根と緑が美しいです。

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中世と現代がバランスよく行儀よく仲良く折り合いをつけている優しい街並みです。

 

リュブリャナでカードを紛失騒動記

日本に無事帰ってきました。

すぐにリュブリャナの続きの記事を書こうと思ったのですが、

実は、

じつは、

クレジットカードや手帳が入っていたカード入れを忘れてきたのです。グスン。

羽田について、いざ日本円を使おうと思ってカード入れを探したらバッグに入っていない。

ムムム。

アレェ〜〜〜

トランクに入れたかな?私のトランクは機内持ち込み用の洋服やらメガネ、本などを入れることにしていたので、すぐに調べました。

が、ない。ナイ、無い。

ええええ〜〜〜だんだん焦り、顔は青く、赤くと七面鳥のようになり心臓、ドキドキ。

それでも、気持ちを持ち直し、パッキングの時慌てていたから夫の方に入れたのかと荷物受け取りまで少し落ち着いて神様、仏様と祈りながら待ちました。

やがてクルクル回りながら荷物が出てきて、夫のトランクも見つけました。

荷物を受け取り、待合室まで急いで行って、大勢、人がいるのですが、焦っているので気にもせずトランクの中身を調べました。

無い、

無い、

無い。

あああああああ、、、、、、、

忘れた?落とした?すられた?????

わかりません。

ショボン。

家に帰るバスの中も消沈。

家についてもう一度、ゆっくりと何回も探しましたが、やはり無い。

リュブリャナに忘れてきました。

仕方がないのでカードは紛失届けの手続きをしようとしながら、

それでもショボン、グスン。

一体どこで???

思い出せません。そりゃそうです。思い出せたら忘れないよね。

どこで忘れたか一生懸命、行動を思い出しますが、胸がつぶれる思いばかり。

そんなこんなで時間が過ぎました。

夕方、携帯が鳴っています。

夫かな、、、と思いながら見ると知らない電話。

なんだか気持ちも冴えないし、出ないでおこうと思ったのですが、あんまりしつこく鳴るので、おそるおそる出ると電話の向こうから知らない男の人が「こちらスロベニア大使館の者です」と言うのです。

えええええ、、、、スロベニア

私は思わず「はいはい、はいはい」と声を弾ませて「ありましタァ」と聞きました。

「〇〇さんですねぇ」と誰何され、そのあと、大使館に届いていると言われました。

あったのです。

あったのです。

あったのです。

ただ、お気に入りのカード入れは無くてクレジットカード、手帳、名刺などが大使館のポストに入れてあったそうです。だからどこで紛失したのかも不明。

カード入れはちょっと残念ですが、まぁ拾ってくださって、ポストに入れてくれた人へのお礼ということで。。。

「あのぉおおお、ところで我が家の電話、どうしてお分かりに?」

「手帳の名前からパスポートを調べて分かりました」と。

そうかぁ、さすが外務省。記録はバッチリとってあります(普通そうですよねぇ)

どこかの財務省とか、どこかの内閣府とか、とかとは違いますよね(俄然、元気になりました)。

「それで郵送料を、、、」と言われたのでちょっと警戒。

「いや、、、詐欺ではないですよ、外務省のHPからスロベニ大使館にメールを送ってください」と言われました。

そのあと、スロベニア大使館の職員の方と紛失届けの手続きやらをメールでやりとりして、紛失したカードなどなどの写真が送られてきました。

間違いありません。

懐かしイィいいい。

と、いうことで指定のところに郵送料を送り(5ユーロでした)、それが確認されたらこちらに送ってくださるという手配になりました。この手続きがかなり時間がかかるそうで、まだまだ手元には戻ってきませんが、それでも、あったのです!!!

よかった。

嬉しいです。。。

本当にありがたいです。

もし海外でトラブル(病気、事故、事件、紛失)した場合はどんな時でも大使館に届けるのがいいんだと改めて思いました。勉強になりました。

と、いうことでバタバタしていてリュブリャナ観光の思い出は後ほど書きます。