monomiyu3の日記

旅に出て名所めぐりをして、その土地のお酒や食べ物を頂き、温泉につかり、と「物見遊山」の日記です! 備忘録として書きますので随分昔の思い出旅行もあります。

札幌時計台

前の記事に書いた余市から帰ってその日札幌で泊まりました。

そして、次の日は札幌の町をブラリ、ぶらり。

昨年も来ているので北大や大通り公園はパスして、別の所に行こうかな、、、とも思ったのですが。

とにかく、それでも札幌と言えば時計台。

と、言う事で時計台に敬意を評してまた行って来ました。

まずホームページを参考に書きます。

札幌市時計台:HOME

創建以来130余年現在のこの地にあるそうで、正式名称は「旧札幌農学校演武場」だそうです。

札幌農学校と言えば「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士が思い出されますが、北海道大学の前身で北海道開拓の指導者を育成する目的で1876(明治9)年開校。
開拓の歴史が刻まれています。
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明治維新後間もない1869(明治2)年、明治政府内に開拓使が置かれ、北海道の本格的な開拓と札幌の街づくりが始まりました。1871(明治4)年、開 拓次官の黒田清隆は北海道開拓の範を求めて欧米を視察し、開拓の範をアメリカ合衆国に求めることとし、同時に合衆国農務長官のホーレス・ケプロン開拓使 顧問として来日することを要請し承諾を得ました。
 ケプロンは1871年7月に部下の技術者らとともに来日、開拓使顧問として北海道の開拓に係る様々な分野に渡り提言し指導を行いました。新天地を求めて 本州から移住して来る各地の開拓民を積雪寒冷地の北海道に定着させるために、衣・食・住に関わる施策と産業をどのように振興するか提言したのです。その提 言を基に開拓使は畑作、酪農、水産加工業、ビール醸造業の振興、洋風建築の導入等の施策を進めました。
(HPより)
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1899(明治32)年佐藤昌介、南鷹次郎、宮部金吾教授が農学校卒業生として初めて博士号の学位を受け祝賀会が時計台で行なわれたそうで、当時から人々の心の寄り添う象徴であったのですね。
そして、
1892(明治25)年の札幌大火のときには生徒が屋根に登り火の粉を払い、類焼防止に懸命に消火活動した様子が今も伝えられていますが、皆にとって大切なものであったことが伺えます。

さて、そんな時計台に遂に時計塔の設置を迎える日が来ます。
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完成した当初の演武場には時計塔はなく、授業の開始や終了を告げる小さな鐘楼が屋根の上にありました。演武場の完成式に出席した黒田清隆開拓長官の指示で、塔時計の設置が決まったと言われています。
1878年10月25日、ホイーラー教頭はアメリカ合衆国ニューヨーク市ハワード時計商会に塔時計を注文しました。1879(明治12)年6月頃札幌に到 着した時計機械が予想以上に大きく、鐘楼に設置できないことがわかりました。時計塔の設置には大がかりな改修と費用が必要なため、当時建築中の豊平館や他 の建物に設置することも検討されました。しかし、ホイーラー教頭は演武場に塔時計を付けて札幌の標準時刻とすることの大切さを力説し黒田長官を説得しまし た。こうして完成間もない演武場に時計塔を造り直し時計機械が据えつけられました。校地内の天文台(観象台)で天体観測を行い時刻調整を行ったのち、 1881(明治14)年8月12日、塔時計は澄んだ鐘の音とともに正しい時刻を札幌の住民に知らせ始めました。
(HPより)
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時計台が時を刻む仕組みについてはHPに詳しく述べられています。
http://sapporoshi-tokeidai.jp/know/structure.php
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時計台の時計は昼も夜も休むことなく動き続け、鐘は毎正時、時刻の数だけ鳴り、1日156回鳴ります。
時計の動く力のもとは、重りが下に下がる力で、この力が歯車を回転させます。しかし、そのままでは歯車は連続的に回るだけなので、この歯車の回転を一定の リズムで少しずつ回す必要があります。この役割を果たしているのが、振り子の規則正しい左右への往復運動を利用した脱進機(アンクルとガンギ車)と呼ぶ装 置です。アンクルの先端がガンギ車と呼ぶ歯車の歯の先に一回一回入り込んだり、離れたりすることで歯車を少しずつ回しています。

逆に、アンクルの先端が離れるとき、ガンギ車の歯の先でアンクルの先端が左右に少しずつ押されています。この押される力が振り子に伝わり、振り子が止まらずに左右へ揺れ続けることができます。
時計台の2階ではハワード社の別の振子式塔時計を動かしています(鐘を打つ装置はついていません)。ご覧になり時計の動く不思議な仕組みを確かめてください。
(HPより)
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なんだかよく分からないのですが、
それでも狂いなく一秒一秒をひたすら刻むこの仕組み。
なんだか心が奪われて行きそうですね。

この時計台を守る為に今もしっかりとメンテナンスは行われ、
札幌の人々の愛すべき拠り所となっています。