monomiyu3の日記

旅に出て名所めぐりをして、その土地のお酒や食べ物を頂き、温泉につかり、と「物見遊山」の日記です! 備忘録として書きますので随分昔の思い出旅行もあります。

建築物から見るリュブリャナ

リュブリャナ今日はリュブリャナの建築物について書きます。

ヨーロッパのどこにでもある小さな都市であるリュブリャナ

川とお城と教会を中心に広がっていた町です。

Wikipiaによればリュブリャナの建築物の説明は以下の通りです。

リュブリャナ - Wikipedia

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リュブリャナオーストリアの型、特にグラーツザルツブルクのスタイルの影響を強く受けている。1511年に起こったスロベニア西部の大地震の後、リュブリャナバロック様式によって、続いてルネサンスモデルの都市で再建された。その後1895年に町は再び地震に襲われ、酷い被災を受けている。再び再建されこの時はウィーン分離派様式が採用された。リュブリャナでは再建が行われた時代を反映し様々な様式が混在している。第二次世界大戦後に建てられたリュブリャナの建築物の大きな部分ではしばしば個人的にスロベニア人建築家ヨジェ・プレチニックが関わっている。

リュブリャニツァ川を見下ろす丘の上を占めるリュブリャナ城は12世紀に建てられ、辺境伯の居城で後にカルニオラ公国君主のものとなった。[45]城から少し離れた、聖ニコラオス大聖堂Stolnica svetega Nikolaja)、聖ペトロ教会Cerkev Sv. Petra , Šentpetrska cerkev)、フランシスコ会の受胎告知教会(Frančiškanska cerkev Marijinega oznanjenja,Frančiškanska cerkev)、竜の橋Zmajski most)はリュブリャナのメインとなる建築物である。市庁舎近くのリュブリャナ市広場にはバロック様式ロッバ泉Robbov vodnjak)のレプリカがある。オリジナルのものはスロベニア国立美術館に移動し収蔵されている。泉はローマナヴォーナ広場にあるものに似てオベリスクと台部分のカルニオラ地方の3つの主要河川を象徴する3体の大理石の彫像が据えられている。この作品はイタリアの彫刻家フランチェスコ・ロッバによるもので、市内には彼の多くのバロック様式の彫刻が残されている。リュブリャナの教会では同様にこの様式が1511年の震災以後、広く普及している。[46]

ウィーン分離派の傑出したものはプレシェーレン広場竜の橋に見られる。ヨジェ・プレチニックが設計したいくつかの橋も含まれ、その中には三本橋スロベニア国立図書館も含まれる。[47] 1930年代に建てられたネボティチュニクは良く知られた高層住宅である。

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と、いうことでバロック様式が多いようです。

バロック様式とは曲線や楕円形をふんだんに使って豪華な装飾が特徴ということです。

リュブリャナバロック様式としては聖ニコラス大聖堂とフランシスコ会聖堂を紹介します。

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三本橋を渡った旧市街の方の広場のすぐそばにある教会。

建物の中に隠れて地味に立っている感じで、見逃してしまいそうな教会です。

中に入ると荘厳な雰囲気の祭壇と高いステンドガラスの窓があってそれだけで気持ちが引き締まります。天井は丸くて確かにバロック様式です。

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市庁舎前のロッパ泉です。ここにも多くの観光客が来ています。

すぐそこに大聖堂が見えます。

三本橋を反対に渡るとすぐ見える教会。

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フランシスコ会教会です。

三本橋の広場にあって大勢の人で賑わっています。

ピンク色の壁が特徴で、教会とはすぐには気がつかなかったですが、中に入ると確かにバロック様式の高い丸い天井で荘厳な装飾がなされていました。

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