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monomiyu3の日記

旅に出て名所めぐりをして、その土地のお酒や食べ物を頂き、温泉につかり、と「物見遊山」の日記です! 備忘録として書きますので随分昔の思い出旅行もあります。

川村カ子ト記念館を訪ねて

義妹が今年の春から夫の仕事で旭川に引っ越しました。

初めての冬に戦々恐々としている義妹。

まだ体験していないので想像ばかりが、それこそ雪ダルマのようにふくれあがるのでしょうか?

そんな義妹を訪ねて旭川に行ってきました。

台風の影響で今年の北海道はいろんなところが被害をうけて、鉄道も不通の表示やら、あるいはライフラインがまだ復旧していないニュースが流れていました。

そんな中で嬉しいニュースが日ハムの快挙。

もうあっちこっちで日ハムです。私まで大谷翔平選手のこと覚えました。

さて、そんなわけで、私の旭川旅日記はまず川村カ子トアイヌ記念館から始まります。

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川村カ子トさんとは以下のような人物です。

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川村カネトは1893年北海道旭川市アイヌの酋長の息子として生まれた。幼年時代蒸気機関車を目にし,心を打たれ鉄道の仕事に就くことを決意。学校を卒業後,測量人夫となり,アイヌという理由で給料を半分にされるなど多くの悔しさを味わいながらも勉強を重ね,測量技手の試験に合格。鉄道員札幌講習所を卒業し,1909年鉄道省の測量技師として北海道の鉄道建設の先頭に立った。
25年から天竜峡三河川合間の測量のために本州に上陸し,山岳が天竜峡谷にせまる荒々しい地形,岩盤の崩れやすい中央構造線にそった未開の山間を命がけで測量。29年には天竜峡門島間の線路工事現場監督として,地形が厳しい上に軟弱な地質で水害など悪条件が重なる難工事を完成させた。天竜峡トンネルでは工事のどさくさにまぎれて生き埋めにされそうになったこともあった。樺太や朝鮮などで鉄道測量を手がけた後,旭川市の河村アイヌ記念館の館長としてアイヌ民族の文化保存に尽力した。60年には飯田市を訪れ講演も行っている。77年1月に人生の幕を閉じた。

川村カネトより

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アイヌの酋長さんで、測量技師。そしてアイヌの権利のために人生をかけた人です。

この記念館は川村さんが私財を投げて作ったものです。

館内はアイヌの生活を保存していて、道具などが陳列されています。

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自然とともに生き、自然を愛し、

自然の知恵を取り入れているアイヌの生活。

便利さに慣れて弱くなっている自分の人生をちょっと省みた時間でした。