北軽井沢にて その2
別荘生活2日目。
朝、いつものように夫はランニング。
6時過ぎに出たのに、なかなか帰ってこないのでちょっと心配になったのですが、
8時半頃、無事に帰り、夫の帰宅とともに、カレーの残りで朝ご飯。
それから夫と2人でパターゴルフをしてきました。
ゴルフのことは全然知らない私。
もうメチャクチャな打ち方ですぐにラフというのですか芝生にぽ〜〜〜ン。
芝生から思い切り打ったら、反対の芝生にポ〜〜〜ん。
ポ〜〜〜ン、ぽ〜〜〜ん。ぽ〜〜〜ン。ポ〜〜〜ん。
子どもづれの家族のグループも沢山いて、みんなそれぞれに「きゃ===」とか「おちた」とか馴染みのある言葉がアチコチから聞こえ、賑わっていました。
お昼はまたまたカレーの残りを息子。私たちはお蕎麦。
そして午後は湖と北軽井沢駅観光に行きました。
秋は本当に紅葉がきれいでしょうね。
馬達のゆったりした雰囲気が大いに和みました♫
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1918年(大正7年)6月15日に草津軽便鉄道の地蔵川駅(じぞうがわえき)[1]として開業した。その後、地蔵川駅の近接地域に開発された別荘地である「法政大学村」(現・「社団法人・北軽井沢大学村組合」、通称「大学村」)により駅舎が改築・寄贈され、1927年(昭和2年)に草津電気鉄道(1924年(大正13年)に草津軽便鉄道より社名変更)の北軽井沢駅へと改称された。駅名の由来は軽井沢の北側に位置していたため。屋根の形が信州の善光寺をモデルにした駅舎となっており、駅舎正面の欄間には、「大学村」の開村に関わりの深い「法政大学」の頭文字である“H”が刻まれている。1939年(昭和14年)4月28日に草軽電気鉄道(草津電気鉄道より社名変更)の駅となったが、1949年(昭和24年)に発生した台風による沿線各所への被害、1950年(昭和25年)および1959年(昭和34年)に発生した台風による吾妻川橋梁の流失などの度重なる災害が影響し、1960年(昭和35年)4月25日に新軽井沢駅 - 上州三原駅間廃止に伴い廃駅となった。
(Wikipediaより)
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とても可愛い駅でした。
長野善光寺を思わせる赤い屋根と白い壁、格子の窓。
そして駅の前には「カブトムシ」と呼ばれた機関車の模型があります。
http://jinenbito.jp/documents/history/train/ekisya.html
駅舎の向いには案内所があって、いろんなグッズが売っています。
また壁には古い懐かしいポスターも貼ってあったりして、なかなか見所がある案内所。
楽しみました。
ホテルへ帰る途中、浅間山とキャベツ畑を通って、ちょっとパチリ。
今年のキャベツはヒョウの被害にあって、表面に大きな穴があいているそうです。
農家の方は大変ですね。感謝です。
でも、遠く浅間山をのぞみ、広々とした田園の中、豊かな気持ちいっぱいになりました♫