那須塩原温泉郷 妙雲寺と百観音
ようやく妙雲寺のぼたんまつりと百観音詣りの記事を書く事ができます!やったぁ!!!
ま ず「ぼたんまつり」について。これは妙雲寺の境内にある3000ものぼたんを地元の愛好家が丁寧に育てて多くの方に見てもらうというお祭り。確かに見事な ぼたんが庭や墓地までつづく道に所狭しと咲いていました。また牡丹以外にさつきやツツジ、そして水芭蕉なども咲いていて、花の楽園です。
お寺の沿革は以下の通り。
=============
妙 雲寺創立は寿永3年(1184)平貞能の手により草庵を結び、正和元年(1312)妙雲寺と改め甘露山の号を付し寺院を建立した。その後文禄2年 (1593)落雷のため焼失、元文2年(1737)、時の住職乙道和尚が再建を目指して尽力したが、実現しないうちに逝去した。
そして、元文5年(1740)、大鏡禅宜和尚の時に再建された。寄せ棟造、間口7間(約12.6メートル)、奥行5間(約9メートル)の大本堂で、廻縁には高欄が付けられ、屋根には銅板葺き(再建当時は萱葺き)で、内陣の間などに繁栄が偲ばれる。
寺の本堂内陣の宮殿も、市指定有形文化財に指定されている。
(妙雲寺HPより)
==============
古くて由緒あるお寺なのですね。また多くの文豪の句碑などがアチコチにあって、結構見どころがあります。
まずお寺に入ると目を惹いたのは「酒風漢与助の墓」
説明の看板には句が書いてありました。
==================
世をはやく逃れたる人ぞ徳利なれ |
今は浄土で後生らく飲み 沈石 |
===================
奇墓の1つだそうです。奇墓って言葉、ここで初めて知りました。
そして、しばらく牡丹や水芭蕉の中を歩くと常楽の滝にぶつかります。
ここは写真スポット。多くのかたがカメラを持ってパチり。豊富な水が滝になって流れてきます。
水芭蕉はもう終わりかな?葉っぱが大きくなってしまいました。でも可憐な花が見えます。
牡丹はやはり華やかですね。
そしていよいよ百観音へと向います。
百観音。いい名前ですね。
しばらく歩くと神社への階段があります。
階段を上ると途中の神社です。
太陽がふりそそぐ神社は静かな雰囲気と厳かさとで迎えてくれます。
そして、そしていよいよ頂上へと歩きます。途中、観音様がいっぱい、いっぱい並んでいて、一つひとつの観音様に言葉があります。それを読みながらフムフム。フムフムと歩きます。煩悩を棄てながら、、、棄てながら、、、と思っていますが、新たな煩悩がドンドンと膨れて来る私。困ったものだ。
頂上につくと百観音が迎えてくれます。
煩悩だらけの私。歩きながら少し煩悩が棄てれたか???とチェック。どうかな???
そして、頂上からみた那須塩原の風景は格別でした♫眼前に広がるパノラマはしばし煩悩を忘れさせるに十分なものがありました。
歩きながら自分で修行、修行と呟いていました。
「心学」という陽明学の1つですが、その教えを紹介しているサイトには私の心に沁みる言葉がたくさんあります。
===================
罪
人間、生きている以上、多少の罪はある。
軽い嘘や言い訳、約束を破ったり、時間を守ることもなく、
さぼったり、手を抜いたりする。
しばし反省をしても、また同じような罪や過ちを繰り返す。
自分でもそうであるが、他人も同じような罪や過ちを繰り返す。
徳高き人間は他人の罪や過ちを口にすることはないが、
徳低き人間は他人の罪や過ちを口にする。
それは自分の徳が低いことを知っているが故に、他人を陥れ、
自分が少しでも優位に立ちたいからである。
最も罪なことは他人の罪や過ちを探し、
自慢気に言い触らすことである。
他人の罪や過ちを過大化して話を創ってしまう癖を伴う。
他人の軽い嘘や過ちを観ても、
決して言い触らすことがないように、
自分自身の徳を高めよう。
===============
なかなか、そうした境地にはなれないのですが、山道をひたすら歩き、前に歩く夫の背中に向って「ありがとう!」
夫と一緒に来て良かった!!!