リュブリャナでカードを紛失騒動記
日本に無事帰ってきました。
すぐにリュブリャナの続きの記事を書こうと思ったのですが、
実は、
じつは、
クレジットカードや手帳が入っていたカード入れを忘れてきたのです。グスン。
羽田について、いざ日本円を使おうと思ってカード入れを探したらバッグに入っていない。
ムムム。
アレェ〜〜〜
トランクに入れたかな?私のトランクは機内持ち込み用の洋服やらメガネ、本などを入れることにしていたので、すぐに調べました。
が、ない。ナイ、無い。
ええええ〜〜〜だんだん焦り、顔は青く、赤くと七面鳥のようになり心臓、ドキドキ。
それでも、気持ちを持ち直し、パッキングの時慌てていたから夫の方に入れたのかと荷物受け取りまで少し落ち着いて神様、仏様と祈りながら待ちました。
やがてクルクル回りながら荷物が出てきて、夫のトランクも見つけました。
荷物を受け取り、待合室まで急いで行って、大勢、人がいるのですが、焦っているので気にもせずトランクの中身を調べました。
無い、
無い、
無い。
あああああああ、、、、、、、
忘れた?落とした?すられた?????
わかりません。
ショボン。
家に帰るバスの中も消沈。
家についてもう一度、ゆっくりと何回も探しましたが、やはり無い。
リュブリャナに忘れてきました。
仕方がないのでカードは紛失届けの手続きをしようとしながら、
それでもショボン、グスン。
一体どこで???
思い出せません。そりゃそうです。思い出せたら忘れないよね。
どこで忘れたか一生懸命、行動を思い出しますが、胸がつぶれる思いばかり。
そんなこんなで時間が過ぎました。
夕方、携帯が鳴っています。
夫かな、、、と思いながら見ると知らない電話。
なんだか気持ちも冴えないし、出ないでおこうと思ったのですが、あんまりしつこく鳴るので、おそるおそる出ると電話の向こうから知らない男の人が「こちらスロベニア大使館の者です」と言うのです。
えええええ、、、、スロベニア?
私は思わず「はいはい、はいはい」と声を弾ませて「ありましタァ」と聞きました。
「〇〇さんですねぇ」と誰何され、そのあと、大使館に届いていると言われました。
あったのです。
あったのです。
あったのです。
ただ、お気に入りのカード入れは無くてクレジットカード、手帳、名刺などが大使館のポストに入れてあったそうです。だからどこで紛失したのかも不明。
カード入れはちょっと残念ですが、まぁ拾ってくださって、ポストに入れてくれた人へのお礼ということで。。。
「あのぉおおお、ところで我が家の電話、どうしてお分かりに?」
「手帳の名前からパスポートを調べて分かりました」と。
そうかぁ、さすが外務省。記録はバッチリとってあります(普通そうですよねぇ)
どこかの財務省とか、どこかの内閣府とか、とかとは違いますよね(俄然、元気になりました)。
「それで郵送料を、、、」と言われたのでちょっと警戒。
「いや、、、詐欺ではないですよ、外務省のHPからスロベニ大使館にメールを送ってください」と言われました。
そのあと、スロベニア大使館の職員の方と紛失届けの手続きやらをメールでやりとりして、紛失したカードなどなどの写真が送られてきました。
間違いありません。
懐かしイィいいい。
と、いうことで指定のところに郵送料を送り(5ユーロでした)、それが確認されたらこちらに送ってくださるという手配になりました。この手続きがかなり時間がかかるそうで、まだまだ手元には戻ってきませんが、それでも、あったのです!!!
よかった。
嬉しいです。。。
本当にありがたいです。
もし海外でトラブル(病気、事故、事件、紛失)した場合はどんな時でも大使館に届けるのがいいんだと改めて思いました。勉強になりました。
と、いうことでバタバタしていてリュブリャナ観光の思い出は後ほど書きます。
スロベニアに来るまでが大変でした
前の記事から書いているようにスロベニアの首都、リュブリャナにいます。
夫が国際会議でこちらに来たのですが、私も付き添いというか付録というかおまけで一緒について来ました。
実は日本を発つ前、夏風邪を拗らして肺炎になり、ウワッ〜〜〜どうしようと焦りました。肺炎、、、うううむ。そんな楚々とした病気に私がなるなんて。
肺炎といえば深窓の麗人のイメージ。
でも実際の肺炎の私はゴホンゴホン、ゲボゲボ、ゴギャンとかなりうるさい。ハハハ。
さてさて、それにしてもキャンセルするにはもう遅すぎて、丸々戻って来ません。
これはかなり痛い。
結構、この日のために節約してきたり、と計画していたのだが。
とはいえ、肺炎を押してまで海外に行くなんてそんなこと、医者が許すはずはないし。
と、いうことで、とにかく気合いで治そう(もちろん、そんなことはできず薬を飲んでひたすら家で安静、そしてうがい、歯磨きをしていました)と頑張ろうと思ったのですが、暑い夏ゆえ、とても気合いでは肺炎に負けそうでした。
それでも出発2日前に医者に行ったら、肺炎は治っていて、旅行もOKという承諾をもらえて、やった!!!やった!!!と大喜び。
あまりの嬉しさに思わず看護婦さんと抱き合い、お医者さんの肩までポンと叩いて大喜び。先生に「ウルサァ〜〜〜イ」と怒られました(尤も花粉症で行っても、いつもうるさい、、、と言われているうるさい患者の私。何しろ田舎のかかりつけ医者で、よく知っているから)。
それでも念のため薬を処方されて、こちらでも予防のため飲んでいるので、せっかくの海外なのに、お酒は全然、飲めません。
隣で美味しそうにワインやらビールを飲んでいる夫がウラメしぃいいいいい。
さて、羽田から11時間のフライトでミュンヘンに入り、空港近くのホテルで一泊。
その日はあまりにへとへとでシャワーも浴びずにひたすら寝ました。
夫は一人でバーに飲みに行ったようです。
そして次の朝早く電車で7時間かけてリュブリャナに着きました。
オーストリア経由ということでアルプスを見ながら、途中、ザルツブルグがあって、とても懐かしかったです。
最初の電車はゆったりと乗れたのですが、乗り換えの電車はコンパートメント型で六人いっぱい。かなり混んでいました。予約を入れておいてよかった!!!
国境超えなのですがパスポート提示はないものの、何回もチケットの検察がありました。
コンパートメントではドイツ人の家族でこれからクロアチアに観光に行くという一組とあと山に行く若者とがいて、2時間半、とても楽しく旅しました。
ただ病み上がりの私にはかなり7時間の電車の旅は疲れました。
列車は遅れてリュブリャナに3時頃についたのですが、かなり駅は落書きで汚い印象。駅の前には遠出するバスの順番を待つ若者でいっぱいでした。コンパートメントの若者も電車が遅れていて、時間を気にしていましたが乗れたかなぁ???
そしてその日はウドンのようなものを食べて、とにかく、とにかく寝ました。
次の日もとにかく寝ました。
2日間、寝ているだけで食べるものを食べずにいたら流石にお腹が空いて、
少しだけパンを食べたら、体力が戻ってきて、
肺炎の方もすっかり良くなったようです。
ただ、まだお酒は飲めないのでグスン。
今回の反省点は、風邪を引いたら自分で治そうとせずに早めに医者に行くこと!
やはり年齢を感じているこの頃です。
スロベニアにいます その2
前の記事に続いてリュブリャナについて。
この町はリュブリャナ川を中心に町が開かれました。
Wikipediaのリュブリャナの説明によると川の名前がこの町の由来ともあります。
確かにゆったりと蛇行しながら流れるリュブリャナ川。
風情があります。
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もともとの町の名前は分かっていない。もっとも有力だと思われているものには市内を流れるリュブリャニツァ川にちなんでつけられたとされ、意味ははラテン語のアッルヴィアーナ(alluviana)から転じたとし、それ自体はエルヴィオ(eluvio)から来ており洪水や氾濫を意味する語である。
(Wikipediaより)
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何本も橋がかかっていて新市街と旧市街を結んでいます。
特に有名なのは三本橋と肉屋橋と竜の橋です。
この竜の橋は1900年 - 1901年に造られたものでウィーンで学んだダルマチア人建築家が設計しオーストリア人の技術者が建てた建築物の中では傑出したものとされている。一部の市民からは四隅の恐ろしい竜の顔になぞらえて「姑」と言うニックネームで呼ばれているそうです。
また肉屋の橋ははリュブリャニツァ川に架かる歩行者用の橋で、リュブリャナ中央市場とペトコヴシェケの土手を結んでいます。橋はスロベニア人彫刻家ヤコブ・ブルダル(Jakov Brdar)の作品で飾られています。2010年7月10日に公式に開通し、1930年代からのヨジェ・プレチニックの構想が完了した。橋の開通後、恋人同士により橋のワイヤーに永遠の愛を象徴する南京錠が掛け始められ欄干にいっぱい南京錠がかけてあります。恋人たちの熱い思い、願いが届きますように!!
スロベニアにいます
リュブリャナに来ています。
http://www.crotabi.com/things-to-do-in-ljubljana/
リュブリャナって日本人にはあまり馴染みのない名前ですが、
スロベニアの首都です。
人口が27万人で、そのうち学生が6万人。
こじんまりした町で静かで爽やかな町です。
観光は町の中心の広場に固まってあるので、半日もあれば十分です。
プレシェーレノフ広場にある町の模型ですが、本当にこんな感じで小さくパックされ
ています。
川があって橋があって、広場があって、そこに教会があって、そして町の高い方向にお城がある。
そんな感じです。
プレシェーレノフ広場というのはスロベニア人なら誰でも知っているという有名な19世紀の詩人、フランツァ・プレシェーレノフの名にちなんでいるそうで、確かにプレシェーレノフの銅像があります。
市民の憩いの場として多くの人で賑わっています。
そのすぐ脇にフランシスコ会教会があります。
最初、本当に教会、と思うほど、ピンク色の壁の可愛い教会です。
中も荘厳というより優しい雰囲気で包まれているホッとする教会。
17世紀に建てられたものだそうです。イタリア式とか。。。
頑張れ!東北
東北は本当に美味しいものがいっぱい!!!
今回の東北応援旅行は3泊4日。
まず1日目は気仙沼。次が田老にあるグリーンピア田老。そして最後がむつ市にある川野荘という民宿でした。
全ての夕飯にウニが出て、もう美味しいのなんのって。
今がシーズンということなのでしょうがそれにしてもふんだんにウニが出てきて、トロトロでした♫
気仙沼の沖見荘は先の記事にも写真を載せましたが、もう一回、ここにも載せておきます。
ウニがすごい。
朝ごはんも充実していました。
そして2日目のグリーンピア田老の夕飯は以下のようなものでした。
もうお腹いっぱいになりました。
朝ごはんも美味しくいただきました。
体重が気になります。
3日目の川野荘ももちろんウニです。
夕飯がこんなに豪華だから、私たち、特にダイエットに挑戦していると自己申告している夫は、これじゃ食べ過ぎということで昼ご飯は質素、質素、質素です。
2日目はサンドイッチとたこ焼きです。
3日目はまめぶ汁
それにしても東北。
本当に美味しいです。
美味しくて優しくて、景観に恵まれている、本当に素晴らしい観光地です。
今回の旅行は「東北応援」を目的に夫と2人で出かけたのですが、
行って本当に良かったです。
家にいたら、テレビを見ているだけでは、
わからない、知らないことがいっぱいあるんだと思いました。
現地に行って、現地の方とお話しして、震災のことを伺い、
それから一生懸命、前向きに立ち上がったことをお聞きし、
そしてまだ復興半ばの現実も見ました。
いっぱい応援しなければ、そして伝えていかなければと思いました。
また機会があったら行きたいです。
頑張れ!東北。
負けるな、東北!!
応援しているよ、東北!!!
風力発電と菜の花の横浜町
そこは菜の花で有名なのだそうです。
実は私はここへ来るまで寡聞にして知らなかったのですが、、、
やはり旅っていいですね、今まで知らないことを知る機会に出会えます。
と、いうことで横浜町は今、菜の花の1番の最盛期ということでフェスティバルを行なうそうですが、私たちが訪れた5月のGWはまだ菜の花全開ではないらしくてあと2週間後くらいに行われるそうです。
でも会場には入ることができました。多分、本当のフェスティバルの時はお店なんかが並んだり、それはそれは賑やかになるのでしょうね。
風力発電というと音がうるさい、騒音というイメージがあるのですが、ここ下北の風力発電は静かです。やはり下北は風力発電まで静かなのか???
と、思った次第。
しかし、菜の花と風力発電。
なんだか違うイメージなのに、すごくマッチしていて、不思議な魅力をたたえていました。
恐山
恐山に行ってきました。
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下北半島の中央部に位置する外輪山、霊場である。また、霊場内に数種類の温泉が湧き、湯治場としても利用されている。下北半島国定公園に指定されている。最高峰は、標高879mの釜臥山。なお、地理でいう恐山山地とは、下北半島のまさかり部分にある山地全体を指すので、いわゆる霊場恐山 とは区別される。
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と、いうことで霊場としての説明は以下のとおり。
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伝承によれば、開山は貞観4年(862年)、開祖は天台宗を開いた最澄の弟子である円仁(慈覚大師)であるという。
文化7年(1810年)再刊の『奥州南部宇曽利山釜臥山菩提寺地蔵大士略縁起』によれば、円仁が唐に留学中、「汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。地蔵大士一体を刻しその地に仏道を広めよ」という夢告をうけた。円仁はすぐに帰国し、夢で告げられた霊山を探し歩いた。苦労の末、恐山にたどり着いたといわれる[1]。
その中に地獄をあらわすものが108つあり、全て夢と符合するので、円仁は6尺3寸の地蔵大士(地蔵菩薩)を彫り、本尊として安置したとされている。
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信仰の対象でもありますが、鉱物に関して、あるいは温泉としてもかなり有名なのですね。。。そりゃ、あれだけ硫黄があれば、温泉も鉱物もありますね。
それにしても、すごく良かったです。
迫力ありました!
遠くから見えるのですが、やはり独特の雰囲気ですね。
私たちも朝早く宿を出て、恐山に向かったのですが、途中、白い装束の方とか見たり、
あああ、ここは霊場なんだと思いました。
そしていよいよ到着。
門には恐山と書いてあります。
いろんな思いをのせて回る風車とお地蔵様。
硫黄の匂いもすごいです。
ぶくぶくと出ています。
仏様が見ていてくださいます。
宇曽利山湖です↓
極楽の風景だそうです。
遠くに見えるのは下北半島で一番高い釜臥山。
美しい極楽のような風景ですが、PH3.5で酸性。ウグイしか住んでいないそうです。
私はここで亡き父、母、そして夫の伯父や伯母、いとこたちと話をしました。
もちろん、私がイタコです、、、ハハハ。
毎日、父と母には仏壇の前で話をしているので、父や母の分も喋っているから夫からは「イタコ」と言われています。それどころか、この頃は、夫の分や我が子の分、、夫の両親、なんでも代わりに答えているので生きている人たちの分まで呼び出せます、、、ハハハ。いやいや、それどころか植物や動物、そして家やら置物の気持ちまで話しているんです。夫や子どもは呆れています(もちろん、思いつきで言っているのですが、なんだか楽しいものです)。
父と母はこの浜で遊んでいて、酒ずきの伯父は毎日飲んで「極楽極楽」と言っているそうです。楽しそう。
と、いうわけで父も母も伯父たちもみんな元気に極楽で楽しんでいました。
安心。
震災復興祈願の仏様と鐘です。
私も鳴らしました。
ところで恐山の温泉ですが、ここにもありました。
秘湯だそうです。境内には4つの湯小屋があり、「古滝の湯」「冷抜の湯」「薬師の湯」は山門をくぐってすぐ、「花染の湯」は宿坊の裏手にあります。
もちろん無料で入れます。昔はここで体を清めてからお参りしたそうです。
と、いうことで私たちも入ってきました。
硫黄の匂いがツ===ンとするかなり強い温泉でしたが、木の雰囲気が優しく、温泉の色も緑色で神秘的。トロトロと温まりました。
全然知らない旅の方達と声を掛け合うという意味でも素敵な温泉です。
山門を出てもう一度振り返るとお地蔵様が送ってくださいました。
ありがとう!!!
父や母や伯父たちにも心の中で会えたし、本当に良かったと言いながら車に乗り恐山を後にしました。