震災遺構 たろう観光ホテル
たろう観光ホテルです。
たろう観光ホテルも気仙沼の向洋高校と同じく震災遺構です。
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東日本大震災により6階建ての建物の4階まで浸水し、1・2階は完全に破壊されてしまった「たろう観光ホテル」。その姿から大津波の破壊力を感じることができます。このたろう観光ホテルは津波遺構として保存され、防災意識の向上のために活動している「学ぶ防災」ガイドにも活用されています。
学ぶ防災では、津波が襲来する様子をホテル6階から撮影した映像の上映が行われています。
(上記サイトより)
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周りは多分あったであろうと思われる建物がみんな撤去されてダダ広い中、このホテルが建っています。
遠くから見ると普通のホテルです。
気がつかずに車で通り過ごしてしまいそうです。
が、
道端に立っているそのホテルの前に行くと、一階と二階がスカスカで、向こう側が見えるその姿に唖然とします。
今、あのホテルを思い出しながらタイプを打っているのですが、涙がちょっとうるうるします。
悲しかったです、あの前に立った時は。
ホテルに泊まった旅人のいろんな楽しい思いを残して、震災遺構として立っているホテル。一生懸命、後の人たちに震災の怖さや凄まじさを残そうとするその姿の健気さに涙がウルウル。
頑張れよ、と思わず声をかけます。
下の写真は、震災で基準点(だったと思います)がこれだけ動いたよということを示しているものですが、始点が丸でそれが矢印の位置に動いたのだそうです。
すごい力だったのですねぇ。。。
うううむ。
今更ながら自然の脅威を感じます。
私たち人間は自然の前に無力であることを思い、だからこそ自然との共存を謙虚に考えていかなければならないのですね。
宮古市の三王岩
三王岩です。
宮古市のホームページ詳しくこの岩のことが書かれています。
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三陸復興国立公園にある数多い奇岩景観の中にあって最も圧巻で、高さ50メートルの通称男岩の両側に女岩、太鼓岩が寄り添い、真下に立つとまさに圧倒されんばかりの壮観さがあります。
1億年もの歳月をかけて、寄せ返す波と海原を吹き渡る風が形作った美しい自然の芸術品です。
砂岩とれき岩が水平なしま模様の岩肌には、はるか昔、白亜紀の記憶が封印されているかのようです。
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真ん中が男岩。
左側が女岩で、右側が太鼓岩というそうです。
白亜紀(1億年頃前頃)の海に堆積してできた砂岩や礫岩(宮古層群)から構成されていて、宮古層群が堆積する前の、北上山地の骨格を作った火山活動の痕跡で、激動の時代から穏やかな海への変化を見ることができるとホームページには紹介されています。
男岩は高さ50メートルから5分の2が羅賀層、その上が茂師砂岩部層で直径2メートルの海しょく洞。
女岩は高さ23メートルで脚部が羅賀層、上が茂師砂岩部層。
太鼓岩は、高さ17メートルで茂師砂岩部層からなる転石だそうです。
この岩を見るために随分と階段を下ります。夫が数えていたら200段以上の階段でした。結構大変。でも岩の奇観に惹かれて私たちは頑張ってウンコラショ、ヨイショと声上げながら下りました。
ちょっと見る位置を変えるだけで表情が変わります。
正面から見ると男岩がお釈迦様に見える私でした。
この形のまま残りました。
ただ遊歩道などの階段手すりなどは壊れたそうです。
青い海と緑の松と凛としてたつ男岩と優しい女岩。可愛らしい太鼓岩。
この3つの岩に心癒される多くの旅人のことを思い、そして今、私たちも癒されています!!!
奇跡の一本松
奇跡の一本松として有名になった陸前高田の松。
私たちも見てきました。
wikipediaによれば、この松の保存を巡って賛否両論があったそうです。
知らなかった。。。
私ときたら「奇跡の一本松、すごい松。震災で残り、多くの人に希望を与えた松」という認識しかなかったのですが、やはり地元の方達にとっては、この松を残すこと、それはすなわち多大なお金がいるということと直結しているということです。被災に遭われて、日々大変な思いで過ごされている方々にとって松を残すことと自分たちの生活を保障するということの天秤の中で、苦悩なさっていたのですね。
知らなかった私。
ちょっと恥ずかしく思いました。
そして知らなかったのですが、今、知りました。
いろんな思いの交錯の中で「それでもこの松を残そう」として声をあげ、苦心、苦労なさった方々がいっぱいいらした事を改めて思い、頭が下がる思いです。
「ありがとう」。
松に対しても、残してくださった方々にも、そして今も頑張っていらっしゃる陸前高田、東北の方々に感謝しています。
あちこちに残されている震災遺構を見ながら、伝えていくことの大切さ、今後同じことを繰り返さないために何をなすべきかを考え、夫と色々と考えた奇跡の一本松との出会いでした。
岩手県宮古市浄土ヶ浜
気仙沼をあとにして奇跡の一本松を見てから私たちは浄土ヶ浜を目指しました。
(奇跡の一本松については次に書きます)
上記のサイトによると以下の通り。
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三陸復興国立公園・三陸ジオパークの中心に位置する浄土ヶ浜は、宮古の代表的な景勝地。鋭くとがった白い流紋岩が林立し、一つ一つ違った表情を見せて海岸を彩ります。松の緑と岩肌の白、海の群青とのコントラストはまさに一見の価値あり。
浄土ヶ浜の地名は、天和年間(1681〜1684)に宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が、「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと言われています。
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説明にあるように、表情豊かな岩に、松の緑、そして白い浜。
青い空はウ〜〜〜ンとひらけていて、空間がすごく広いのです。
時間もゆったりと流れているようです。
長い、長い時をかけて自然が作ったこの風景。今、ここに立っているということを実感しました。
園内はすごく大きく広いので、無料バスが走っていて、私たちも帰りは利用したのですが、ガイドさんが「ようこそ、浄土ヶ浜へ。こうして来ていただけることが一番嬉しい」と言われていました。
東北なのでまだ桜が咲いていました♫
気仙沼の向洋高校の今
東北でよかった応援の旅 気仙沼
東北応援の旅、1日目の夜は気仙沼の民宿です。
2008年の11月に夫と夫の友人夫妻と4人で松島と気仙沼の撮影旅行をしました。
私にとっては初めての撮影旅行でワクワクドキドキでした。
使ったカメラはPENTAX k100Dsuperです。
気仙沼は以下の説明にもあるようにリアス式海岸の風光明媚な観光地です。
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宮城県の北東端に位置し、東は太平洋に面する。東部の唐桑地区から気仙沼地区にかけては、三陸の他地域と同様にリアス式海岸が特徴的である。同じリアス式海岸でも当地方では岩手県沿岸と比較して標高が低くなだらかな丘陵が多い。唐桑半島と岩井崎の間では、深く入り組んだ海岸線が波の穏やかな気仙沼湾を形成し、湾内には大島が浮かぶ。本吉地区に入ると穏やかな海岸線が見られるようになる。
三陸沖の黒潮の影響によって冬は比較的温暖であるが、夏はやませの影響で冷涼である。(wikipediaより)
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撮影旅行をしていた私たち4人も夕日を受けて金色に輝く海のあまりの美しさに手を止めることもできないくらいシャッターを押しまくっていました。
夜は漁師さんがなさっている民宿で地元では有名。
料理がとにかくすごかったです。(写真を探したのですが、見つからない、、、)
そして朝は民宿を出て浜に出たら地元の人たちがテントを出してウニを売ったり太鼓を叩いたりとお祭りをしていました。
とても賑やかで楽しかったです。
そんな2008年。
それから3年後に東日本大震災が起き津波が起き、ここ一帯は波に飲み込まれました。
私たちが泊まった沖見屋さんも流されて、本当に心痛かったです。
そんなある日、夫がネットで沖見屋さんが再開したことを知り、これは絶対に行こうということで今回の旅行は一泊目は沖見屋さん。
ご主人は津波が来る前に逃げて他の人たちも全員助かったのだそうですが、まさか家が流されるとは思わずにみんな置いてきたので、一からの出直しだと言われていました。
「だいぶん小さくなったでしょう」とちょっと悔しさもにじませながら言われているのが胸にグサリ。
夕日が映り幻想的。
海岸への入り口の看板。
「三陸復興国立公園・海域公園」の文字が元気を呼びます!
地元出身の力士「秀ノ山」関。この像は津波に流されなかったそうです🎶
偉いぞ、秀ノ山!!!
夕日が美しく松と海を照らします。
そしてこの松。
実はすごいのです!!!龍の松と言います。確かに龍に見えます。
下のサイトによれば以下の通り。
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岩井崎の先端部に立つ龍(辰)の形をした松は、東日本大震災の津波によって幹や枝などが被害を受けたものの、一部が奇跡的に残ったことで姿を現したものです。高さ約2.5m、幹周り約1.7mで、大きく曲がった幹と折れた枝が、まるで龍が昇る姿に見えることから「龍の松」と名付けられました。その後大震災から時が経ち、傷みが激しく一時は枯死状態となりましたが、復興のシンボルとして長く保存する為の加工が施され、平成28年に現地に設置されました。
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すごいです!!!
本当に力になりますよね。
潮吹き岩からも元気に波が上がります!!!
さて、沖見屋さんの夕食を紹介します。
今、ウニの季節なのでウニづくしでした🎶
ウニです。迫力を出すためにちょっと大きめの写真です!!!
本当においしかったです。
これからも三陸、応援していこうと夫と食べながら、飲みながら楽しみました。
「東北でよかった」の旅、石巻
前復興相の「東北でよかった」発言が物議を醸しています。
この発言を逆手にとって「東北でよかった」ハッシュタグがツィッターでトレンドに上がり、多くの人が東北を応援。
夫と私もこのGWは東北旅行を計画。
震災前、そして震災直後と東北には度々足を運んでいたのですが、今回は三陸を中心にして、その後、恐山までいくというコースにしました。
第一日目。
石巻は2010年の2月に訪れたのですが、その時はお昼は有名な石巻焼きそばを食べました。下の写真はその時の藤や食堂の写真と焼きそばです。
石巻焼きそばは茶色い麺でちょっと太め。
この藤や食堂は津波の被害にあったのですが、復興、再開したそうで、今でもやっています。多くの方がその喜びをネット上に表しています。
このサイトもそうです↓
https://tabelog.com/miyagi/A0404/A040403/4002088/dtlrvwlst/B112421440/
鉄板の下まで水が来たそうです。
今回は立ち寄れなかったのですが、次に機会があったらぜひ行きたいです。
この時はまだ津波にあわず、完全な宇宙船の形で、私たちは「おおおお」と声をあげながら、その流線型を楽しみ、出迎えてくれる仮面ライダーに思わず手を振っていました。
ここも津波で流されて本当に悲しい思いでテレビを見ていたことを今でもアリアリと思い出します。
復活した漫画館はちょっと小ぶりですが、それでも流線型で夢がいっぱい詰まっているようで入る前からワクワクします。下の写真は今回の漫画館です。
子どもの日を間近にして鯉のぼりがいっぱい空に泳いでいました。
一階に歴代仮面ライダーのフイギユアが勢揃い。
一階のフロアは水に浸かったそうです。が、今は多くの観光客を迎えてくれます。
これは2010年の時のからくり時計。
そして、下の写真は今回のからくり時計。
復活していることを時が教えてくれます。
嬉しいです。
2010年の時は、北上川沿いの民宿に泊まりました。
川の向かい側に石ノ森萬画館が宇宙船のように浮かびあがりSFのような世界を作り出していました。
さて、そのときの民宿の料理。
それはそれは沢山の料理が出ました。
ここも津波の被害にあったのでしょうね。
今は更地になっていて、一体どの辺りにあったかか見当がつきませんでした。
寂しいことです。
でも、こうして写真をもう一度見直すと、民宿の方々の心使いを思い出します。
また復興、再開なさっていることを願いながら、
夫とまた来ようね、と言い、気仙沼に向かいました。