monomiyu3の日記

旅に出て名所めぐりをして、その土地のお酒や食べ物を頂き、温泉につかり、と「物見遊山」の日記です! 備忘録として書きますので随分昔の思い出旅行もあります。

善光寺ご開帳の旅 その4(善光寺の別院と戸隠神社)

善光寺のご開帳を拝観した次の日は、

戸隠神社に行く予定ですが、

その前に善光寺の別院が上山田温泉にあるので、そのお寺を参拝しました。

とても静かなお寺で、ここにも回向柱があって、善光寺の仏様に繋がっています。

私たちはさっそく、回向柱を何回も、なんかいも丁寧にさわりました。

心にいっぱい願い事を入れて。

さて、そのあと、戸隠神社に向かいました。

ホームページによると以下の説明があります。

ちょっと長いのですが、あまりに興味深く面白い神々のお話なのでそのまま引用します。

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霊山戸隠山のふもとにあり、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる戸隠神社。はるか神代の昔、高天原に由来する「天岩戸開き神話」ゆかりの神々を祀っています。弟のあまりの乱行に天照大神は、岩戸にお隠れになり、世の中は真っ暗になり、大混乱になりました。そこで、困った神々が会議をし、大神を再び外へお連れするため、歌や踊りの祭りを開きました。

その賑わいを不思議に思い、天照大神が少し戸をお開きしたところで、手力雄命( たちからおのみこと) が岩戸を押し開き、大神をお迎えしました。その岩戸が下界に落ちて戸隠山になったという伝説もあります。

神々の物語により、奥社の御祭神は天手力雄命(あめのたちからおのみこと)、中社は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)、火之御子社は天鈿女命(あめのうずめのみこと)、宝光社は中社祭神の御子神天表春命(あめのうわはるのみこと)などと神話に登場する神々をそれぞれ祀っています。

戸隠神社の歴史は古く、これらの神々以外、地主神として、水と豊作の大神の九頭龍大神を祀っています。この世の生き物にとって欠かすことこのできない水。それは戸隠信仰の始まりであるとも言われています。古来、天台密教が伝播するにおよび、神仏習合顕光寺が創建され、戸隠信仰は修験道とも習合し、この霊地は日本全国に名をはせることになりました。山にこもって修行し、悟りを開く大道場として栄え、修験道を中心に中世から近世までにおいて広く庶民の信仰を集めてきました。

しかし、明治初年の神仏分離令により、神仏一体の戸隠信仰は、神道か仏教かの選択を迫られる状況に直面しました。戸隠信仰の源流は、古代人の山への信仰にありますが、仏教的なものは一掃され、神社神道として歩むことになりました。

以上、ホームページょより
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時間がないので、私たちは奥社だけ参拝。
が、その道の長いこと、ながいこと。


しかも私たちが行った時はまだ雪がところどころにあって、滑りそうな道でした。
その道をただただ、黙々と歩き、あるき、あるき、、、
ようやく神社について、心を込めてお祈り。

参拝も長い順番を待ちます。
そして、
そのあと、ゆっくりゆっくりともと来た道を帰りました。
大変でしたが、後から思えば本当に良い経験だったと思います。
なにより、歩き通して、完結できて、本殿に参拝できたことが嬉しかったです!!!
 

長野善光寺の旅 その4(田毎の月)

善光寺から上山田温泉に帰るまでの途中に棚田があります。

田毎の月がそれです。

田毎の月とは長野県千曲市(ちくまし)にある姨捨山(おばすてやま)のふもとの、小さな水田のひとつひとつに映る月のこと。(上記サイトより)

私たちが訪れた5月の初めはまだ田んぼに水がはってなくて、ただの草ぼうぼうの畑でした、、、

残念。

田んぼに水がはって、月が田毎に映る頃にまた来ることができたらいいな、、、と

思いながら宿に向かいました。

善光寺ご開帳の旅 その3(善光寺)

5月4日、晴れ。

朝からとても気持ちの良い天気。

姉夫婦と私たち夫婦と4人での長野善光寺ご開帳の度は今日が本番。

前日の地元のニュースでは物凄い人出だったとのこと。

今日もすごいだろう、、、と覚悟して宿を出発したのは朝の9時前。。

上山田温泉から善光寺まで普通なら1時間かからないが、途中から渋滞の案内が

所々に出て、いよいよ善光寺の近くに来たら、道の脇に「渋滞」の看板を持った人が立ち出しています。

わっ====駐車場あるか。

当初の予定は長野駅で車を停めて、そこからバスに乗って善光寺までというものだったが、

これは長野駅までも大変だし、まず駐車場があるかどうか、と車内で話していました。

と、信州大学の前を通ったら、駐車場空きという案内があって、ここだ!!!

と、決め、善光寺の近くで私たち3人は降りて、夫が一人で駐車場まで車を置きに行きました。

夫が言っている間、私たちは先に順番をついていようと、善光寺の門まで歩いたら、

もういっぱいの人、人、人。

「この列は?」と係の人に聞くと「回向柱の順番」とのこと。

「ここで、とにかく夫を待とう」ということで3人でその列につきました。

後から後から人の列が続き、アッという間に車道まで人がはみ出しています。

そして、ようやく夫がやってきて合流。

4人で相談して「とにかくご本尊にお参りしよう」ということになって、

回向柱の順番から離れました。

それにしてもすごい人です。

まず山門の桜上へ登りました。

この写真は楼上から見たものですが、今更ながらすごい人です。

回向柱は触れないので(列がすごい)、横から写真だけ。


私たちはご祈祷をしていただくことにしたのですが、

そこもまた大勢の人が並んでいました。

ご祈祷すると、本当に近くでご本尊を拝むことができます。
お経も読んで頂き、お願い事も祈っていただけ、とても幸せな気分になりました。

 

下の写真は今までの回向柱です。ここは触っても良いのでいっぱい触ってきました!!!

歴史を感じます。。。

回向柱、ありがとう、、、と思いをこめて触りました。

 

長野善光寺ご開帳の旅 その2(別所温泉)

上田城を出た後、私たちは別所温泉に向かいました。

別所温泉(べっしょおんせん)は、長野県上田市にある温泉である。標高約570mの高地にある、信州最古と伝わる温泉地で、日本武尊が7か所に温泉を開き「七苦離の温泉」と名付けたという伝説から「七久里の湯」とも呼ばれる[1][2]

温泉街に近接して安楽寺常楽寺北向観音といった塩田流北条氏ゆかりの古刹があることから、「信州の鎌倉」と呼ばれる[3]。(wikipedia)より

 

そして、有名な北向観音はまたまたwikipediaによれば、木曽の義仲や源頼朝とも関係があるようで、まさに今NHK大河ドラマの鎌倉殿と関係があると思うと、感慨もひとしおです。

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寺伝によれば、平安時代初期の天長2年(825年円仁(慈覚大師)によって、常楽寺とともに開創されたとされる[1]。9世紀にも火災の伝説が残る。安和2年(969年平維茂によって大伽藍として大改修が行われたが、木曽義仲の兵火により焼失したのち、源頼朝により再興。鎌倉時代建長4年(1252年)には北条国時(塩田陸奥守、塩田国時)によって再建された[2]と伝えられる。(wikipedia)より

 

善光寺の南向観音とならんでお詣りすると、願いが成就すると言われています。

 

2022年、長野善光寺ご開帳の旅 その1(上田城)

2020年に記事を三つ書いて以来のmonomiyu3の日記、更新です。

一昨年、そして昨年はコロナ禍にあって、自粛自粛で、遠出はできないし、

美味としいものも食べられず、ひたすらNetflixsの日々(主には韓流)でした。

時々、夫と近場の山にハイキングに行ったりもしましたが、静かに2年を過ごし、

ようやく、今年のGWは自粛規制がないと、いうことで、

ジャジャ〜〜ン、GWのど真ん中5月3〜5日まで長野善光寺のご開帳に夫と姉たち夫婦の4人で行ってきました。

長野で宿をとるのは大変なので上山田温泉で宿泊。

旅の印象は「とにかく、とにかく人が凄かった」の一言でした。

と、いうことで、備忘録としてまず第1日目(5/3)から記事にしておきます。

圏央道はあまり来ることがないので知らなかったのですが、菖蒲PAとても充実していて、時間があればもっとゆっくりと各コーナーを見てみたかったです。

姉たちとは上田で待ち合わせしていたのですが、時間に遅れそうで、何度もLINE。

こんなとき、本当にSNSって便利ですね。。。いい時代になったものです。

以前、姉ととある美術館で待ち合わせした時、お互いに別々の入口で待っていて、30分くらい無駄な時間があったことを思い出します。

そして、ようやく、ようやく、上田駅に着いたのは12時頃。

疲れた〜〜〜 

とにかく高速での渋滞って逃げられないので 疲れます。

駅で待っていた姉たちと無事に会い、昼食後、上田城まで歩きました。

大河ドラマ真田丸」でも有名になりました。

お城に入る門まで来ると一番に気がつくのは「真田石」。

高さ約2.5m・幅約3mの大石で、真田信之(信幸)が松代城移封にあたり父・真田昌幸の形見として持っていこうとしたところ、微動だにしなかったという言い伝えが残っているそうです。本当に大きな石でした。

さて、門をくぐった後、西櫓へ。

西櫓は尼ヶ淵の河岸段丘上に築かれた本丸隅櫓で、上田城唯一の現存遺構(元は7つの櫓があったそうです)。
なお、西櫓という名前は戦後につけられたもので、江戸時代には「西川手櫓」と呼ばれていました。

櫓の後、真田神社で参拝。

真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている神社です。

神社を参拝した後は博物館などをみて、上田市の歴史や真田氏など戦国武将についての展示をみました。

またここにきて初めて知ったのは山極勝三郎博士のことです。

幻のノーベル賞と言われている「人工がん」のことなどを知り、感動。

このようなパイオニアの生涯を知ることは力になります。


博物館見学後、城内にある真田井戸と呼ばれる抜け穴など見ながら、戦国時代に思いを馳せて、上田駅へと向かいました。

次の目的地は別所温泉

続きは次の記事にします。

トッケビを観て

今までに観た韓流ドラマでトッケビが一番でした!!!

「愛の不時着」「トッケビ」「花より男子」「コーヒープリンス1号店」「花郎」「彼女は綺麗だった」「映画は「新幹線」「私の頭の中の消しゴム」の2本を観たのですが、もう一度、

トッケビが一番!!!

ヒーローとヒロインも勿論素敵なのですが、

哀しく美しく切ない死生感が縦糸でしっかりとあり、横糸に人々の刹那的なアレコレの思いが交錯して物語は展開されます。

900年の時を経て、なお彷徨う主人公。

愛を選び、選んだ愛のために永遠の無の境地で歩き続ける主人公に

愛おしいと回を追うごとに思いました。

また死神の存在や輪廻の思想なども斬新で、ロマンがありました。

「死はそんなに悪いものじゃない」と思ったり、

「今を大事にしよう」なぁんて思ったりしました。

時の束縛から解放されることは、死そのものなのだと、改めてズシン、ズシンと胸に染み込んできました。

死、そして生を正面から捉えたこのドラマは、絶対、おすすめです。

 

 

愛の不時着を観て

愛の不時着 | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト

を自粛期間に観たのが韓流への第一歩でした。

日本のワイドショーでも何回も取り上げられ、多くの人がその名前を知って、

感動、感激、ワァワァと言っているので、そんなに言うなら「私も」ということで観始めました。

最初は美男美女のヒーローとヒロインに惹かれて、顔を観ているだけで幸せになりました。

次は登場人物、とくに北朝鮮の市井の人々の逞しさに惹きつけられたことと、北朝鮮という未知の国への関心が深まりました。

最後は「愛する、信じる」という本質的なテーマに魅了されました。

とくに私にとって印象深いのは、「38度線」の意味です。

北朝鮮、韓国という両国にとって「その線」はただの線ではなく、

政治的にも、文化的にも、そして精神的にも大きく立ちはだかっていることを感じました。

日本人の私には知ることができない大きな壁なのだと、改めて知りました。

今、まだ両国は政治的にデリケートな立場にいるのですが、

一個人としては、なんとか両国の人々が「いったりきたり」の交流を普段に行うことができるような、そんな時代が早く来ないかと願うものです。